2019年怒涛の下半期。

イベントにつくイベント。


イベントやさん八王子まりこ。の、イベントたちが次々と幕を下ろしました。



8月 発達障害と表現 コラージュ体験会


10月 ラジオ出演

   こもれびピクニック

   換気扇掃除ワークショップ


11月 バラエティカフェお片づけきっかけ作り

   なみきフェスvol.1












イベントたち、さようなら。

またね、また来年ね。


お声がけくださったみなさま、本当にありがとうございましたm(__)m


「人見知りです」

「ひきこもりです」

「性格悪いんです」

「対人恐怖症です」


と威嚇していた2年前。


ウソだろってくらい友達が増えました。


発信のわたしを知っている方から見たら☝️の発言はただのウソつきと思えるかもしれないですねっ




こんなにあちこちに顔出したりウロついたりタグ付けされる引きこもりいねーよ。(おっしゃる通り!




いろんな事をさせて頂いて毎日エネルギーを使い果たして、また新たな日を新しいエネルギーで過ごすという、先入先出し法な(使い方間違ってる)人生になりました。


これ、通常業務を行いながらのイベントわっしょいだったので、途中なんどか人には言えないモノ(LPVD薬物。。。リ◯ビタン的な。。。)を摂取しつつ、なんとか駆け抜けることができました。




その間、少し体調の変化もありまして。3週間くらい謎のめまいが頻発していました。



11月の初め、70キロの巨大双子クローゼット分娩が終わった後くらいから、寝ていてもめまいで起きるくらい。三半規管をどっかに置いてきちゃったのかな?っていうくらいぐらんぐらんして。いよいよなんか大学病院的なところで人間ドッグ的なものをしめやかに行わないといけないのかなーなんてうっすら考えておりましたが、これは"境界線問題"なんじゃないかなぁという思いもあったので、イベントが終わるまで様子を見ようと思っていました。





《境界線問題》


何故そう思ったかというと、お客様宅からでた不用品を集めてフリーマーケットをしようと思ってモノを集めておりました。


お客様のお家で不要になっているモノ。でも肝心なのは、


自ら手放せないお宅からでたモノ。


・もったいない

・フリマがあったら持っていく

・メ◯カリ的なところに出品する

・ブッ◯オフ的なところに持っていく

・◯◯さんにあげる

・使わないけど捨てられない

・捨てたいけど捨て方がわからない



断捨離をする!となり、不用品を集めてすぐに処分できる方からはいただきません。所有者が不要で処分もすぐに行動に移せる方のものはすぐにでも捨てて欲しい。


(だって片付けるんだもん。スッキリさせるんだもん。使わないものを家に置いておくの不毛だもん)


(話脱線するけど、例えば、夫婦で断捨離してて、旦那さんが旦那さんのものをゴミ袋にいれて、それをみた奥さんが、「パパ!これ捨てちゃうの?!使わないの?!」って言うのなんだろうって思ってる。本人が本人のものを要らないっていって捨ててるんだから黙って捨てさせてやれよーって、幽体離脱してる。。。)



捨てられない人のおうちで寝ているものをフリマに出す。


わたしの仕事の最終形態です。


あなたの思いを断ち切ります。


・モノへの思い

・人からの思い

・固定概念への思い



・もったいないと思ってるのは貴方じゃなくて、今までの教育からの固定概念のせい


・フリマがあっても忙しい忙しいって言って持っていかないでしょ


・メ◯カリ的なところもブッ◯オフ的なところも面倒だなーと思ってそのままでしょ


・◯◯さんにあげるっていっても◯◯さんと会うの3ヶ月後でしょ。そしてその3月間の間に季節が変わってサイズアウトしたものがまた出てきてるのに気づかないでしょ


・使わないけど捨てられないモノもあると思うけど、捨てられない量が無法地帯でしょ


・捨てたいけど捨て方がわからないのは、本気で捨てようとしていないからでしょ。本気で捨てたからったらどんな形であれゴミ袋に入れるでしょ




そこにわたしは一石を投じたい。



そのモノたちが無くても、貴方は暮らしていける=生きていけるんだって事を体で知って欲しい。



あー、まりこがフリマやるっていってる。預かってくれるって言ってる、ラッキー!

家の中からこれだけのものが減ったー!

スッキリー!



そのスッキリを知ってもらいたい。


自分のテリトリーから不用品がなくなったことで得たものがあるとすれば、それが私の伝えたい事。喪失感があるとすればまだモノへの執着が手放せないという事。



ただ、モノが完全にこの世から無くなったわけじゃない。モノはわたしの家に来た。



ここが境界線問題。


このモノたちはわたしの所有物じゃないという紛れもない線がある。所有物じゃないモノをしばらく家に置いておく事が、片付けを生業としているわたしには耐えがたい。


モノで空間を侵食していくことがイヤなのだ。自分が管理できるモノの適量から逸脱しているこの状況。。。



「は、はやく、、、どうにかしないと。息苦しい。。。」


空間の息苦しさ。

モノたちの息苦しさ。


自然に感じるととても息苦しいのだ。これ以上モノがある家はどんなに息苦しい事だろう。


息苦しさの感覚も麻痺するのだ、モノに溢れていると。


それらのモノ全てが好きで買い集めたモノであればきっと光り輝いているだろう。


でも、いるのか要らないのかがわからないまま、着るか着ないかわからないまま、ただ有る事への安心さや、捨てる事で自分のエネルギーや時間を使う事を、疲れてしまう、消費してしまう、一人で取り組むことの理不尽さなどを、みんな、十把一絡げでめんどくさいの括りにしている。どうにか回避して見て見ぬ振りして生活をしていると、どんどん感覚が鈍る。


それを知っているから、モノが増える事で感覚が鈍るのがイヤ。実際荷物をずっと置いていた部屋はどんどん荷物部屋でカオスになり、掃除機をかけるのも一苦労な部屋になっていた。


そんな思いまでして、ブログにわざわざ書くぐらいならフリマもやらなければいいと思うかもしれない。(わたしもよぎった。。。)それでも、それだとてフリマをやるのは、


ずっと寝ているモノたちへの鎮魂歌。せめてどこかで誰かに必要とされますように。


モノがある事で放置していた鈍った感覚を呼び起こすための行為。


わたしがお客様へ、時間と労力を使い伝えたい事を体で知ってもらいたいというサービス。


モノ、ヒト、シゴトへの愛情です。


それが境界線問題にもなりうる事を知っていたけど、まずは限界突破するためにできることは全てやると決めていた。


私の仕事は簡単にモノを捨てたりしそうと思われがちだけど、モノを捨てるという形で、思いを断ち切るお手伝いをしているのです。


そして私はモノが好き。

好きだから厳選されたモノの中で暮らすことの豊かさ、気持ちよさ、目が隅々にまで行き届く暮らしの快適さを知っているんです。



境界線を侵しながら、それでもわたしがフリマをする理由。時間も労力も使って、夫の力も借りて、モノを手放すことで得る快適さを知って欲しいという事なんです。


売れなかったモノは一切残しません。昨日廃棄します。そして売り上げは、出店料や経費を払ったら全て寄付します。


今回も、台風19号の被害があった八王子のみなさまへの義援金として。そしてわたしが尊敬しているNGO団体 GOODEARTH寄付致します。


得たものが循環しますように、心を込めて。