先日お話しした主体性の話。

 

あれからまた少し発展して体感したことがありまして。

 

前回、風呂掃除の時に主体性がわかったというふうにお伝えしたんですが、それはもっと厳密にいうと、

 

"主体性の入り口が見えた"

 

という表現の方が正しいかもしれません。

 

前回は、メラミンスポンジを手に取った時にこう...意識がワープして(?)

 

広範囲に理解が及ぶような、

自分の意識を自分自身が支配していた事を知ったというか、

自分の意識下隅々にムグラが這っていくような(蟲師なw

 

感覚だったのですが...

 

 

昨日Facebookをみたら、樹音ちゃんが。

 

"骨盤からめりめり湧いてくる生命力を感じること。実際に感じて、意図を持って使いこなすこと"

 

と...。

骨盤というキーワードに引っかかったのです。

 

というのも、掃除をしている時はいつも大股開きです。風呂場や床掃除では這い蹲り、換気扇掃除や窓掃除では足場があればどんなに高いところでも手が届く限り磨きます。

 

内股でおしとやかな立ち居振る舞いでは見えないところがある。

 

いつも掃除の時はだいたい骨盤が開いて蹲踞の姿勢のようだったりする。

 

この姿勢でいる事で見える汚れや感じる主体性があるのかー?!

 

と思ったよ。

 

いや、姿勢を蹲踞にするからいつでも"はい、主体性!"っていうわけではなく...

 

 

っていうのが体感のお話し。

 

 

ここからはその体感を応用した話なんですけど。

 

いくらテクニックがあっても根本がわかってないと最後の最後までは伝わらない、わからない、元に戻る。ツメが甘い状態になる。

 

という事が起こると思っていて。

 

例えば、わたしが学んだ整理収納アドバイザー2級も、整理収納というカテゴリでは基本の学びだったけど、でもアレもテクニックなんだよね。

 

片付けるテクニックの話。

 

片付けよう!というドアの前に立ってる人や、もうドアを開けてる人には必要な学びだと思う。わたしも受けて良かったと思ってる。

 

で、実際、わたしが出会うお客様の多くはドアの前に立ってない、もしくは、ドアを開け閉めしているおっかなびっくりさん。それかそっちじゃなくてコッチのドアだよー(´・Д・)」っていう場合とか。

 

ドアの前に立つ必要はないと思ってる人もいるね。

 

わたしはお客様が物理的にどうしたいのかをただひたすらに聞く事をするんだけど、それと同時に

 

片付ける・きれいにする・意識を変える

 

というドアの前に立ってるのか、

立たない場合の人なのか、

ドアを開け閉めしている人なのか、

 

を五感で感じている。もしかしたら六感の部分かもしれない(そういう意識はないけど。)

 

それに応じたお片づけの提案をしています。

 

立つ人には立つ人の。

立たない人には立たない人の。

開け閉めしている人には開け閉めしている人の。

 

それを知ってから、"ここをこうした方が"とか、"こうすると使いやすいよ"とか、それこそテクニックが伝わるし、いわゆるリバウンドしにくい空間になるんだ。

 

ブログの文字で伝わる場合と、

お話しで伝わる場合と、

実際一緒に動いて伝わる場合と、

様々にある。

 

一番労力を必要とするのはやっぱり実際一緒に動いてものを触って、どかして、処分したり、悩んだりしながらだけど、それはわたしの中をも循環させていてわたし自身も一緒に疲れて一緒にスッキリした気持ちになっています。

 

それに手を止めないから必ず一歩づつ一歩づつ進んで行ってる。

 

 

 

 

こういうじぶんの感覚をケバケバに毛羽立たせてくれる人もいれば、

 

毛羽立っちまくって逆立ちまくってトゲだらけで痛々しい状態になってもそれにも引かずに研磨してくれる人もいて、

 

感謝〜〜〜とは十把一絡げにはいかない時もあるけど、巡り巡って毛羽立たさてくれる人とも研磨してくれる人とも相手を理解したいという気持ち前提で話をするから仲良くなれる。

 

お片づけ関係なさそうだけど、大いにあるのだ。