お片づけクリエイター

おそうじやさん八王子まりこですヽ(´▽`)/

 

ちょっと長めの話になるかもめなので、先に可愛い写真を貼っておきます。

 

かわいー!ねーくん、かわいー!

 

 

先日、ご依頼先でお風呂掃除をしている時にですね。

 

心の片隅というか、1/25くらいを占めていた、ある感覚(?)について、点と点が繋がって宇宙にワープした話なんですけども。

 

最近、私に直接会った人はこの言葉を聞いているかもしれません。

 

それは、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自然分娩したかったーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは決して、自然分娩リスペクト!とか、それ以外の分娩がダメとかそういう話ではないんです。

 

これは、"主体性"の話。

 

何ヶ月か前に友達と、なんかの会話をしていて、主体性の話になってですね。

 

主体性とはどんなもんなのか。

 

を、話していた後に彼女がFacebookに書いていたことがこれで。

 

 

 

 

 

 

これを読んだあと、なんとなく頭の中のまあまあいいところに"主体性"が鎮座してですね。

 

それ以来わりと頭の中に"主体性"という言葉とともに、「嗚呼、自然分娩してみたかったな...」という思いに駆られてました。

 

次女を産むとき、(私にとっては初産)自然分娩で産む予定が、陣痛が来なくて二日間促進剤を打ったけどそれでも子宮口が開かず帝王切開になり、手術の恐怖と帝王切開の痛みが今でもトラウマになっていて"二度と出産なんかしない!"と心に誓ったわけですが.....

 

「自然に子供を出してみたかったな」

 

という思いが拭えきれないまま、10年くらい経ちました。

 

この話をすると、

 

 

「もう1人産めばいいじゃん」

 

 

という事もいわれるのですが、イヤ、そうじゃなくてね。

 

自然分娩することに対して恐怖があったんです。よくいうじゃないですか、鼻からスイカ出てくるだの、上唇をひっくり返して頭にかぶせるだの、それくらいキョーーーーレツに痛くて死ぬ思いをするとかなんとか...ね。

 

妊娠中、ずっとそれが頭の中にあってそれでもそんな恐怖をボヤかしながらいざ産まれる"その時"までなんとなく覚悟を決めていて。

 

破水して、いざ"その時"がきたらめっちゃ気持ちが整ったんですよ、「よし、まりこ、行くよ」って。産むよって。

 

でも破水しても陣痛が来ない...

促進剤打つ...

 

痛い...

痛い痛い...

痛い痛い痛い...

 

痛い!

なんだかわからないけど痛くて苦しくてもう死ぬからやだ!誰も助けてくれない!

 

付き添ってくれた母や姉がなんもしてくれない(当たり前だよね、痛いのは俺だけ...)を恨みながら完全に及び腰になって促進剤打ってる間はこの世の地獄の苦しみの中で、早くお腹を切ってほしい...もう私には産む事なんでできませんから...という心境になってしまい、結局はお腹を切って娘を出すことになりました。先生、切ってぇ...と、泣いてすがる...

 

全身麻酔で出産して、生まれた瞬間をみる事が出来ず。術後は全身が痒くなりどんどん皮膚がケロイド状態になり皮膚が向けて脱皮。40度の熱が4日くらい続いて抱っこも出来ず。傷も痛くて歩けないし、退院間近の頃に急に血圧が250とかまで上がって、嗚呼明日の朝起きなかったらどうしよう...ってどんどん病んでいくし...

 

 

その経験をまたするかもしれないっていうリスクを考えるとまた子供を産みたいって思えなかったんだよね、この10年。

 

だからあの時にやはり自然分娩がしたかったというか。

 

そして時はたち、友達と主体性の話になり、友達が例にあげた"出産"の話を読んで、違うとわかっていながらね、

 

わたし、自然分娩してないからもうこの先、主体性について知ることはできないんじゃないかしら...

 

って考え始めてしまって。

 

違うってわかってるけど、でも、その、あの...

 

↑こうなると完全に彼女の言うように、主体性無くしてるよねw正解を求めたりしてるし、原因を探ったりしてるもんねw

 

ただ、主体性ってほんと生きていくために必要な要素だと思っていて、ビタミンとかミネラルとかと同じくらい必要な要素だと思っていて、思っていたところにドンピシャに主体性の話ができて。

 

わたしは今後、どうやったら主体性について誰かに話せる実体験が味わえるかなぁ...って頭の1/25くらいの場所を使って考えてたんだよね。

 

で、お風呂掃除をしながら、お客様と話しながらふと、お客様のお風呂にあったメラミンスポンジを手に取ったときに、主体性とメラミンスポンジがカギとなって主体性がわかったの!

 

っていうか、わたし体験してたじゃん!って。

 

 

換気扇とかお風呂とかのお掃除の依頼の時にたまにお客様に言われることが、

 

「どうやっても落ちなくて...」

 

たしかに、お風呂のゴムパッキンのカビとかはなかなか落とせないけど。

 

石鹸カスとか床の黒ずみは、汚れの性質を知って効率的な道具を使って時間をかければ大体の汚れは落ちる。

 

どんなに頑固な石鹸カス、水垢、カルキの塊、油汚れでも、

 

・汚れの性質

・効率的な道具

・時間

 

 

それに大事なのは気持ち。

 

絶対にこの汚れを取ってやるという気持ちがあれば、汚れの性質を知ろうとするし、効率的な道具(洗剤とか)を調べて買って使ってみようとするし、それに向けて時間を使うし。

 

子供が片付けたり掃除がテキトーなのは、この主体性がないからだよね。親に片付けろって言われたから仕方なしにやってるだけ。目の前の散らかりが見えてない。汚れに気付いてない。のに、片付けろとか言われてとりあえず右から左へ物を動かしてみただけ。10分くらいかけて物を動かしたからいいでしょ、もう。

 

という気持ちでやってりゃそりゃ片付くわけないし、汚れに関しても5分くらいゴシゴシやったけど落ちないからもう落ちないよね、これ、無理じゃん。となる。

 

 

でもわたしは汚れに対して積極的に知ろうとして、いろいろ試していく中で絶対落とすことができるという気持ちで取り組んでる。そして実際キレイになってる。

 

これって主体性じゃん!

 

ってぺかーーー!っと一気にわかったーーー!っていう気持ちになったんだよね。

 

そしてわたしはそれを仕事にして毎日あちこちで主体性を体現してるじゃん!これって主体性の訓練じゃん!やだなにこの状況...ありがたすぎて涙そうそう。゚(゚´ω`゚)゚。

 

 

"主体性のある仕事をしている"

 

それがわかった途端、迷いもためらいも一切合切飛んでいって感謝しかなかった。

 

風呂を掃除しながら感謝の気持ちが溢れて泣きそうになりながら、

 

こないだまで「自然分娩したかった...」と言ってた自分を成仏させて(10年の思いだからね)主体性の柱を立てる事ができた。

 

 

あともう一つ、パソコンが好きじゃなかった時しょっちゅうパソコントラブルがあって、「ぬんで?!」というエラーが起きてた。

その度にパソコン得意な人に「なんもしてないけどこうなっちゃって...」って言ってたけど恥ずかしかった。

いつのまにかパソコンも好きになり簡単な設定とか人の手を借りなくてもできるようになったらトラブルはなくなった。「ぬんでこんな事が起きるん?!」という事はなくなった。

 

これも主体性に繋がってる事だと思うんだよね。

 

長くなってしまったけど、久しぶりに宇宙にワープしてピカピカに光った感情だったので、読んでくれてありがとうございますヽ(´▽`)/