私がまだ小学生だった時の有る夜、夜通し外から猫の鳴き声が聞こえていました。
翌朝居間のカーテンを開けると、窓辺にいた仔猫が私を見て網戸を登り、必死に「助けて!」と鳴いて訴えかけてきました。
仔猫を部屋に入れ、母がご飯に味噌汁をかけた猫まんまをあげると、夢中で食べていました。
私と弟は「飼おうよ」と言いましたが母は難色を示します。
何故なら、母は自宅で洋裁の仕事をしていたからです。
お客の服に粗相をしたりすると大問題になります。
半分諦めながら学校に行き、帰宅した時には仔猫は我が家の猫になっていました。
白黒のハチワレ仔猫はチーと名付けられました。
しかし、私はまだ子供で、母も猫の飼い方を知りませんでした。
ペットショップが有る町までは車で1時間、電車は3時間に1本という過疎化の進む村です。
キャットフードなるものも無く、食事は毎食猫まんま。 猫まんまを食べなくなったら、人が食べる物を与えていました。
1番駄目だったのはトイレ。
発泡スチロールに砂浜の砂を入れてトイレにしていたのですが、砂を入れ替えるのに、工事用一輪車(ネコ)に重い砂入り発泡スチロールを乗せて浜まで往復しなければなりません。
私と弟だけでは一輪車を真っ直ぐ進ませることも出来ず、父はバスの運転手で不在がち。
母の仕事が一区切りついた時にしか行けず、1週間に1度位しか取り替えてあげられませんでした。
結果、とても不衛生なトイレを使わせてしまっていました。
それでもチーは元気に過ごしていました。
小さなお手々をグローブのように腫らしながら、捕まえた虻を得意気に見せに来ました。
丸い物には興味を示さず、紐が大好きだったので、母の仕事道具であるメジャーを持って走り回る私を、チーが追い掛けてくるというのが毎日の遊びでした。
チーは高い所が苦手でした。
小学生の私の、腰位の高さですら下りられなくて右往左往していました。
私は2階に有る自分の部屋にも遊びに来て欲しくて、メジャーで誘って階段を一段一段上ることと下りることを教えました。
それから、ほぼ毎晩、私の部屋を訪ねて来ました。
夜中寝ているとドアの前で「開けて」と鳴き、開けると部屋に入り、反時計回りに1周して出ていきました。
当時は「何しに来たんだろう?」と不思議に思っていましたが、大人になってから思い返すと、あれは見回りに来ていたのでは、と思います。
私が無事でいるか。変なものが居ないか…。
2年ほど経った頃だと思います。
チーがトイレに失敗しました。
居間からトイレに行く途中の廊下でしてしまったのです。
そんなことは1度も無かったので、たまたま間に合わなかったのではないか?と話していたのですが、それから毎日失敗するようになりました。
客の服への粗相を心配していた母は「これは駄目だ」とチーの毛布やご飯の皿等を小屋に移して、家に入れないようになりました。
頭の良いチーは、私達と庭で遊んだ後、家に入ろうとはせず、自分から小屋に帰りました。
(あの時のチーの気持ちを考えると胸が痛くなります)
ある時、母が「チーのお尻から膿のような物が出ている」と言い、動物病院に連れて行ったところ、お腹に膿が溜まっているということで手術を受けました。
(不衛生なトイレのせいだと思っています)
しかし、この医者がヤブ医者だったのです。
手術した傷が引きつり、足を動かせなくなりました。 チーは寝たきりになって、小屋から家の中に戻ってきました。
世話は全て母がしていました。
私はご飯を食べさせてあげることもせず、トイレに運んであげることもせず、吐いた時に母を呼びに行くだけ。
そんな有る夜、部屋で寝ているとチーの鳴き声が聞こえました。
ドアを開けるとチーが私を見上げて「ニャー」と鳴きました。
いつもはそのまま部屋に入れるのですが、その時は何となく廊下の電気を付けたのです。
すると、足元で鳴いていたチーが消えていました。
「あれ?」と不思議に思いながらも電気を消して寝直したのですが…。
後々思い返す度に、寝たきりになってさえも、見回りに来てくれたんだなあ、と思い、泣きそうになります。
その後暫くして、遊んでいる私と弟の側でチーは亡くなりました。
私も弟も気付かずに、「チーが又吐いてる~」と母を呼びに行き「死んでるじゃないか」と言われ、呆然としました。
涙を浮かべてチーを抱き、撫でながら話しかけている母をただ見ていました。
撫でることもせず、涙も出ませんでした。
初めて目の当たりにした「死」の怖さが、悲しみを上回っていました。
子供だったから…はただの言い訳に過ぎません。
もっと可愛がれば良かった。
もっと世話してあげれば良かった。
チーはうちに来て幸せだっただろうか?
後悔ばかり……。