大塩八幡宮
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう) 御由緒
御祭神は、誉田別天皇(応神天皇)、帯中日子天皇(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)
仁和3年(887年)、「中納言紀友仲」が越前国府に流罪となります
中納言は無実の罪を嘆き、現在の本殿の位置に榊を植え、石清水の八幡神に都へ帰ることができるよう祈願を続けました
寛平元年(889年)、その願いはついに叶い、喜ぶ中納言は寛平3年(891年)この地に社殿を造営し、
石清水八幡宮の神霊を勧請しました
これをもって大塩八幡宮の創建とします。武家の崇敬を集めていた大塩八幡宮は、木曽義仲が境内に本陣を築いて滞在し、必勝を祈願したと伝わっています
ほかにも鎌倉幕府からの田地の寄進や、斯波高経による造営、斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や、社殿の造営修復が行われ、繁栄しました
天正年間の一向一揆や太閤検地で社領をことごとく失うなど衰退に傾いた時期もありましたが、福井藩祖
結城秀康が社領30石を寄進
その家臣・本多富正が武運長久を祈り、秀康の子、松平忠直により20石が加増されたことで復興、
江戸時代を通じて福井藩主から
崇敬されました。これだけ大きな拝殿は珍しく、昭和56年の修復で創建当時の入母屋造、こけら葺き、
四方吹放ちの形になりました
境内には本殿のほかに小さな神社がたくさんあるので、見て歩くのも楽しいです
なかでも疱瘡の神様が有名
また、南北朝時代に鋳造された梵鐘をはじめ、文化財も多いです