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ここ数日 今まではあまり見る事のなかったテレビを見る機会が多いわけですが
最初は映画の中でしか見た事の無いような状況が現実として起こっているということに
あっけにとられているばかりでしたが だんだん腹が立ってきたというか
ムカッとする事やイラ立つ事が多くなってきまして・・・
そして今日 東京電力の記者会見を見ていて ついに爆発しました
ヤイ!マスゴミ!! おまえらなんなんだ?
「もっと早く発表できなかったんですか?」
「発表が遅かったとは思いませんか?」
はぁ?・・・
なるべくフレッシュな情報を供給しようとすれば直前まで情報収集するだろうし
より正確で精度の高い情報を供給しようとすれば時間がかかるのは当然の事
どうせ情報の精度が低かったり 正確性に欠ければ
それはそれでワーワー騒ぐんだろ?
停電の情報だってそうだ
「なんとか停電を最小限に抑えよう」「回避できるのであればなんとか回避しよう」
とギリギリまで電気屋さんガンバった結果 情報が二転三転したんじゃねーか
それをどうだ? 論調は「言う事がコロコロ変わって振り回された・・・」
おいおい ちがうだろ・・・
それが おまえらの言うところの「ジャーナリズム」か?
単なる揚げ足取りじゃねーかよ!
そんなニュースを見て「そうだそうだ」なんて言ってる奴らもしかりだ
被災地域の映像を見て「お悔やみ申し上げます」「お見舞い申し上げます」
「なんとか手を差し伸べたい」「義援金募金します」なんて言ってる奴らが
いざ自分が「停電だ」「中止だ」「やっぱり停電だ」となるとガタガタ言ってやがる
結局 対岸の火事としか思ってないわけで「神妙にする」「協力する姿勢を見せる」
って事が 自分がある程度普通に生活できている事に対しての免罪符のように勘違いしていて
実際に自分に何らかの不自由が降りかかると手のひらを返したようにワーワー騒ぐ
そもそも 人間それぞれのキャパシティなんて物は決まっているわけで
「誰かに協力する」「誰かに手を差し伸べる」となった時に
その分 キャパシティがドンと増えるわけではない
つまり 自分の決まったキャパシティの中から削った分だけ
協力できるし 手を差し伸べられる
それを理解せずに安っぽい「協力姿勢」という免罪符だけ手に入れて
実際に協力する事になり自信を削る段階になってガタガタ騒ぐのは
まったくもって本末転倒である
片や大変な生活を強いられているのに
自分は何ひとつ変わる事無く普通に生活できている・・・
それに対して申し訳なく思ったり 引け目を感じる事は無いと思います
皆が皆 大変な事になったら助ける人がいないじゃないですか
他人の協力無しに自分自身で生活できる人がいないと
手をかけなくてはいけない人だらけでは成り立たないのですよ
だから 無理に免罪符を手に入れようとせずに
他人様の手を煩わせないように普通の生活をおくっていれば
いいのだと思います
ただ 自分のキャパシティの中で手を差し伸べる余剰のある人は
手を差し伸べるべきだと思います
今まで「援助大国」だった日本に対しての世界各国の
反応を見れば わかると思います
貸した力は いずれ自分に帰ってくる物です
見返りなんて考えずに力を貸していても
いざ自分に何かあれば ちゃんと帰ってくるものです
で 自分は何かしたか? と言われれば まだ何もしていません
もちろん「何かしよう」という気持ちはありますし
今後 何らかの行動に移す事になると思います
ただ「今 何が必要なのか?」「何をすればいいのか?」を
しっかり見極めてから動こうと考えています
今現在 あちこちで かなりの義援金活動が立ち上がっています
しかし その集まったお金が
どのような形で どのような人の手に渡るのか・・・
そこらへんをしっかり見極める必要があると思います
「まずは動く」「とりあえず行動する」
これも大切な事だと思います
しかし 今 被災して避難生活をおくっている人達が
本当に必要としているのは何だろうか?
「集まったお金を被災者に送ります」
この義援金に募金したとして
はたして 今 避難生活をおくっている人達は現金を必要としてるでしょうか?
もちろん長期的に見れば 今後 日常生活を再開するにあたって
お金は必要になってくるだろうし 金銭的な問題は深刻な問題です
しかし 今 さしあたって もっと必要としている物があるのでは?
仮に 今 募金するのであれば
「集まったお金を渡します」の義援金より
「集まったお金で必要物資や食料を調達して それを渡します」
という義援金に募金したほうが 避難生活をおくっている
人達には役に立てるのではないか?と考えています
「長期的に集まったお金を後々渡します」という義援金があるのなら
それは 今でなくてもいいと思うんですね
実際に復興しはじめて現金が必要になってくるのは
まだまだ先の事だと思います
だから その時に 改めて募金すればいいわけです
だから 今 行動するのであれば とりあえず 今 役立つ事に
使おうと ちゃんと見極める必要があると思うんです
闇雲に動けば良いか? 実は あまり力になれていない場合も多いんですね
たとえば 先日聞いたのですが 震災後 けが人が多数出たという事で
各地の献血場に人が殺到したそうです
ただ 実際に血液が必要になるのは 今ではなくて
2週間~1ヶ月後に大量に必要になるらしく
今現在は さしたる必要は無いそうです
「じゃあ そん時 また献血すればいいじゃん」
いえいえ 1回献血してしまうと 200ml献血で1ヶ月
400ml献血で3ヶ月は献血できないんです
「今回集めたの使えば?」
血液の使用期間は採血してから約20日間だそうです
つまり「とりあえず」と各自の判断で闇雲に先走ってしまうと
本当に必要となった時に 必要な物が 必要な人の手に渡らない
という事態が発生してしまうんですね
だから「なにかしよう」「とりあえず動こう」というのは
とても大切な事ですが 色々な情報を集約した上で
きちんと見極めて行動することが重要であると思います
最初は映画の中でしか見た事の無いような状況が現実として起こっているということに
あっけにとられているばかりでしたが だんだん腹が立ってきたというか
ムカッとする事やイラ立つ事が多くなってきまして・・・
そして今日 東京電力の記者会見を見ていて ついに爆発しました
ヤイ!マスゴミ!! おまえらなんなんだ?
「もっと早く発表できなかったんですか?」
「発表が遅かったとは思いませんか?」
はぁ?・・・
なるべくフレッシュな情報を供給しようとすれば直前まで情報収集するだろうし
より正確で精度の高い情報を供給しようとすれば時間がかかるのは当然の事
どうせ情報の精度が低かったり 正確性に欠ければ
それはそれでワーワー騒ぐんだろ?
停電の情報だってそうだ
「なんとか停電を最小限に抑えよう」「回避できるのであればなんとか回避しよう」
とギリギリまで電気屋さんガンバった結果 情報が二転三転したんじゃねーか
それをどうだ? 論調は「言う事がコロコロ変わって振り回された・・・」
おいおい ちがうだろ・・・
それが おまえらの言うところの「ジャーナリズム」か?
単なる揚げ足取りじゃねーかよ!
そんなニュースを見て「そうだそうだ」なんて言ってる奴らもしかりだ
被災地域の映像を見て「お悔やみ申し上げます」「お見舞い申し上げます」
「なんとか手を差し伸べたい」「義援金募金します」なんて言ってる奴らが
いざ自分が「停電だ」「中止だ」「やっぱり停電だ」となるとガタガタ言ってやがる
結局 対岸の火事としか思ってないわけで「神妙にする」「協力する姿勢を見せる」
って事が 自分がある程度普通に生活できている事に対しての免罪符のように勘違いしていて
実際に自分に何らかの不自由が降りかかると手のひらを返したようにワーワー騒ぐ
そもそも 人間それぞれのキャパシティなんて物は決まっているわけで
「誰かに協力する」「誰かに手を差し伸べる」となった時に
その分 キャパシティがドンと増えるわけではない
つまり 自分の決まったキャパシティの中から削った分だけ
協力できるし 手を差し伸べられる
それを理解せずに安っぽい「協力姿勢」という免罪符だけ手に入れて
実際に協力する事になり自信を削る段階になってガタガタ騒ぐのは
まったくもって本末転倒である
片や大変な生活を強いられているのに
自分は何ひとつ変わる事無く普通に生活できている・・・
それに対して申し訳なく思ったり 引け目を感じる事は無いと思います
皆が皆 大変な事になったら助ける人がいないじゃないですか
他人の協力無しに自分自身で生活できる人がいないと
手をかけなくてはいけない人だらけでは成り立たないのですよ
だから 無理に免罪符を手に入れようとせずに
他人様の手を煩わせないように普通の生活をおくっていれば
いいのだと思います
ただ 自分のキャパシティの中で手を差し伸べる余剰のある人は
手を差し伸べるべきだと思います
今まで「援助大国」だった日本に対しての世界各国の
反応を見れば わかると思います
貸した力は いずれ自分に帰ってくる物です
見返りなんて考えずに力を貸していても
いざ自分に何かあれば ちゃんと帰ってくるものです
で 自分は何かしたか? と言われれば まだ何もしていません
もちろん「何かしよう」という気持ちはありますし
今後 何らかの行動に移す事になると思います
ただ「今 何が必要なのか?」「何をすればいいのか?」を
しっかり見極めてから動こうと考えています
今現在 あちこちで かなりの義援金活動が立ち上がっています
しかし その集まったお金が
どのような形で どのような人の手に渡るのか・・・
そこらへんをしっかり見極める必要があると思います
「まずは動く」「とりあえず行動する」
これも大切な事だと思います
しかし 今 被災して避難生活をおくっている人達が
本当に必要としているのは何だろうか?
「集まったお金を被災者に送ります」
この義援金に募金したとして
はたして 今 避難生活をおくっている人達は現金を必要としてるでしょうか?
もちろん長期的に見れば 今後 日常生活を再開するにあたって
お金は必要になってくるだろうし 金銭的な問題は深刻な問題です
しかし 今 さしあたって もっと必要としている物があるのでは?
仮に 今 募金するのであれば
「集まったお金を渡します」の義援金より
「集まったお金で必要物資や食料を調達して それを渡します」
という義援金に募金したほうが 避難生活をおくっている
人達には役に立てるのではないか?と考えています
「長期的に集まったお金を後々渡します」という義援金があるのなら
それは 今でなくてもいいと思うんですね
実際に復興しはじめて現金が必要になってくるのは
まだまだ先の事だと思います
だから その時に 改めて募金すればいいわけです
だから 今 行動するのであれば とりあえず 今 役立つ事に
使おうと ちゃんと見極める必要があると思うんです
闇雲に動けば良いか? 実は あまり力になれていない場合も多いんですね
たとえば 先日聞いたのですが 震災後 けが人が多数出たという事で
各地の献血場に人が殺到したそうです
ただ 実際に血液が必要になるのは 今ではなくて
2週間~1ヶ月後に大量に必要になるらしく
今現在は さしたる必要は無いそうです
「じゃあ そん時 また献血すればいいじゃん」
いえいえ 1回献血してしまうと 200ml献血で1ヶ月
400ml献血で3ヶ月は献血できないんです
「今回集めたの使えば?」
血液の使用期間は採血してから約20日間だそうです
つまり「とりあえず」と各自の判断で闇雲に先走ってしまうと
本当に必要となった時に 必要な物が 必要な人の手に渡らない
という事態が発生してしまうんですね
だから「なにかしよう」「とりあえず動こう」というのは
とても大切な事ですが 色々な情報を集約した上で
きちんと見極めて行動することが重要であると思います
こっちのブログを立ち上げた理由の1つとして「音楽の話を書きたい」というのが
あったわけですが 自分の中で音楽を語る場合 もちろん聞く側としての
話もあるわけですが 演奏する側としての話もあるわけで 自分自身かなりの
楽器好きだったりするので 色々な楽器について語る事も多くなると思われます
というわけで その第一弾として まず最初に出てくるのは
やはりこれでしょう・・・ 【ウクレレ】です
この楽器自体 知らないって人は ほとんどいないくらい
みんな知ってる楽器なんですが その実態を知っているのは
ごく1部の人・・・という とても不思議な楽器ですw
だいたい日本国内で一般的に【ウクレレ】から出てくるキーワードは
・高木ブー
・牧伸二 (♪あぁ~やんなっちゃた)
・ハワイアン、フラ
ちょっと音楽好きな人でも
・つじあやの
・ジェイク シマブクロ
・・・まあ こんなとこでしょw
でも 実は とても広くて深い世界が
あったりするわけなんです
と、その反面 実際にやってみようか?となると
実に敷居の低い楽器という側面もあります
ってなわけで【楽器】というカテゴリーを作って
その第一弾としてウクレレをもってきたわけですが
この楽器については色々と思い入れも深く
語りつくせる物では無いので 後々ウクレレは
別カテゴリーとして立ち上げて もっと掘り下げたいと思います
とりあえず 今回は「ウクレレの神様」
日系ハワイ人のハーブ・オオタ氏(Ohta-san)の演奏を・・・
