2025年が終わろうとしている今、
はっきりと言えることがあります。

私にとって幸せになる道は、
「自分のやりたい」に集中して過ごすことだった。

それまでは、そんな発想すら持っていませんでした。




私には「分離不安」があった


私はずっと、
見捨てられることへの強い不安を抱えて生きていました。


でもそれは、
「ある」とすら気づかないほど
生まれながらに染みついていた感覚でした。


あまりにも当たり前で、
それが不安だという認識すらなかったのです。




相手を観察する人生


相手が望むことをすれば、見捨てられない。
そう信じていた私は、


  • 相手は何を望んでいるのか
  • 今、どんな気分なのか
  • どう振る舞えば正解なのか

常に相手を観察して生きていました。



でも、どれだけ観察しても
相手の本音なんて分かりません。



だから私の世界には、
いつも混乱と不安が溢れていました。


どこまでいっても、
何をしても、
不安は消えなかった。




「自分」に興味を持たなかった理由


相手ばかり見ていた私は、
自分のことを考える時間を一切持っていませんでした。



自分は何が好きなのか
何をやりたいのか
どう生きたいのか

考えたことすらなかった。



唯一の興味は、

「どうすれば愛されるのか」
「今回は正解だった?」
「前はよかったのに、今日は違うの?」



その答え探しだけ。

それが、私の人生のすべてでした。




2025年、人生が動き始めた


そんな私が2025年、
指摘してくれる師匠と、プログラムに出会いました。



正直、怖かった。
ブルブル震えながら受講し続けました。



懸命に、ただひたすら
手元供養を続けました。



やがて、止まっていた脳が
少しずつ動き始めた感覚がありました。



そこから
「やりたいことが分からない人のための自己実現ワーク」を受講し、
本気で自分と向き合いました。


  • 人生で起こった最悪な出来事に込められたメッセージ
  • 自分にとって大切な価値観
  • どんな人生を歩みたいのか
  • 最後に「どんな人だった」と言われたいのか

何も見えなかった濃霧の中で、
思考が少しずつ晴れていきました。




私は、やりたくて供養をしている


私は、
手元供養を「やりたくて」過去の出来事があった。

と気づきました。

手元供養は、死ぬまで続ける。
それだけは決めています。



そしてもう一つ。
自己理解。



あまりにも長い間、
自分を無視し続けてきたから。

これからは、
自分を発見する人生を生きると決めました。



日々、いろんな自分に出会えています。

それが今の私にとって、
豊かさであり、幸せです。




自分に集中する日々


私は今、
自分の微細な心の揺れをキャッチすること
毎日集中しています。



なぜ、今ざわっとしたのか
なぜ、こう感じたのか



それを
論理的に、構造的に説明して、と
ChatGPTと壁打ちする日々。



フィードバックをもらいながら、

「そういうことだったの?!」
「じゃあ、次はこうしてみよう」


そんな実験を
11月からずっと続けています。


その結果、
毎日がぎゅうぎゅうと中身が詰まっていく日々に感じています。






境界線を引け 右往左往しなくなった私


義母に
「今日も休みなの?」と言われても、
もうムスッとしなくなりました。


義母は
「働かざる者食うべからず」の価値観。


そのルールを破る私は、
義母から見たらざわざわする存在。



そんなことを想像できるようになったから、


「すみません」
「でも、私は今はこれを選びます」


そう、境界線を引けるようになりました。




旦那の一言が刺さらなくなった理由


旦那の
「今日、休みなんだ〜」さえ

以前はグサッと刺さっていました。


私自身も
「休む=悪」だと思っていたから。



でも、気づけば 和らいでいます。


理由は 優秀なのに、
あまり働かない同僚の存在も
影響しているのかもしれません。

そんな風に生きること選んでいいんだ〜

許可をくれた人



結局は、

どっちもやってみて、何を選ぶか。
選んだものを、責任を持って生きる。

そう思えるようになった自分が、
今は少し誇らしいです。




2025年は「自分を好きになる」年だった


2026年も、
自分を発見する生活を続けます。


「どう生きたいか」が固まり、
それをただ淡々と重ねていく一年にしたい。




2025年は、
自分を好きになる活動ができた一年でした。



今日は、義父の命日。

2年前、泣きはらしたあの日から、
私の本気の自立、自己改革が始まったのだと思います。



もしかしたら、
義父の命日は
私の「第二の誕生日」なのかもしれません。

あの日から、
人生が確かに充実し始めてますから。