なんで9歳?って疑問は、そのうち晴れるかと(笑)
私は、「先天性総胆管拡張症」という病気をもって生まれました。
先天性総胆管拡張症とは...↓
肝臓の外の胆管が拡張する先天性の形成異常で、基本的に膵管と胆管が合流する奇形を合併します。
膵管と胆管がつながっているので、膵液が胆管内に容易に逆流して、様々な症状を起こします。
(姫路赤十字病院より抜粋)
私の場合は、一番は腹痛で、嘔吐や黄疸もありました。
前回のブログを読んでくださった方は分かるかと思いますが、私は双子です。
双子の姉も同じ病気なのではと調べましたが、姉は大丈夫でした。
1歳半の頃に1度目の手術をしました。
それで終わるはずだったんだと、母は言っていました。
けれど症状は良くならず、「癒着だ」と言われ続け、入退院の繰り返しでした。
私の記憶にあるのは保育園の頃からだけど、本音で辛いことを書き綴るなら、
いつまでこの苦しみが続くんだろうって子供心に症状が現れるたびに思ってました。
しょっちゅう入退院を繰り返していたので、保育園や小学校前半の頃の友達との思い出やイベントの思い出が
あまりありません。
一度入院すれば1ヶ月以上絶食の時もしょっちゅうありました。
食べられない、食べちゃいけない、でも食べたい...この感情は常についてまわりました。
お医者さんから「食べてもいいよ」と言われても、食べるものは大きく制限されていたし、よく噛まないと消化にも悪いから、
母や兄弟が常に私の食べている姿を注視していました。
点滴も拘束されている感じがしたし、手の置き場所や点滴している箇所によっては血液が逆流するときもあって
すごく痛かったし、あおぶちができるし、そうなるとまた点滴し直しだし、それも辛かったです。
転機が訪れたのは、小学校3年生で、9歳の頃でした。
有名な大学病院の先生が、たまたま往診に来たことがきっかけでした。
私の症状を聞いて、どこがどう痛いのか、何が一番つらいのか、私や母の話を全て一生懸命聞いてくれました。
そのうえで一度大学病院で検査することになり、結果、癒着ではなかったことが分かりました。
詳しいことは、母にしかわかりません。
沢山家族や先生と話し合い、もう一度手術することになりました。
集中治療室に行くことになるかもしれないリスクも背負っての手術でしたが、無事に成功し、目が覚めた時に
「これでもうお腹痛くならないんだ」ってなぜか達成感に満ち溢れていた記憶は未だにしっかりあります。
どのくらい入院していたかもう覚えていませんが、手術からそんなに経っていないのに、食事が始まったころの
最初の3時のデザートがホットケーキだった時の衝撃は忘れられません(笑)
え!?これ食べていいの!?って、手術したばっかだよ!?って(笑)
嬉しすぎて、幸せすぎて1ミリずつフォークでちびちび時間をかけて食べていました。
今でも思い出すだけでニヤニヤします(笑)
手術前は絶対に食べられなかった麺類も、消化に悪いと言われていた食材が入った食事も普通にベッドに運ばれて来る度に
【私もうほんとに治ったんだ。もう大丈夫なんだ】と自信と嬉しさでいっぱいになりました。
あれから21年。
私の今まで生きてきた年月からすればたった9年だけど、私の全てを作るには十分すぎた9年でした。
トラウマも、幸せも、痛みも、性格も
「食べること」には人一倍敏感だし、「痛み」は、誰かの痛み(心も身体も)であったとしても自分で感じてしまうくらいだし、
一人の病室で外を眺めながら抱いていた絶望は、今の幸せを重ねても消えてはなくならない感情です。
そんな私と上手に生きているつもりだけど、たまに辛くなってしまうこともあります。
「マインドリセット」ってホントに大事。
今はこれが上手にできるように、メンタルコーチの先生にコーチングしてもらっています。
自分の話(自分自身の事でも、今の自分の気持ちの事でもね)を声に出すってすごく大事な事なんだと最近
知りました。
「ねえ聞いて!」って感覚ではなくて、単純に今思っていることをつらつらと、そこに脈絡がなくても声に出すだけで
自分の考えやマインドがリセットされていって、そのうち何かしらの感情や答えみたいなものが見つかることもある。
その時に抱いたイメージや感覚を忘れないこと。
私のこの経験が、誰かの心に届きますように。
私のこの体験が、誰かの救いになりますように。
長々とお読みいただきありがとうございます。
では、また次回!!