僭越ながら、遺書を書かせて頂きます


私は、明日命を絶ちます


首を吊って死にます


生まれてから24年間


楽しかった事や苦しかった事


家族に当たってしまう時期や無邪気に喧嘩をした時期 様々ありました


だだ、今になって思い出すことは

そんなどーしようもない過去の情景ばかり


普通の人なら親の笑顔や泣き顔、友達の顔や愛する人の顔が浮かぶのでしょうか


死に際なのに思い浮かぶのは、思春期前の小さな喧嘩と思春期の豹変ぶりに苦しむ母の姿、そして、社会人になって感じる心苦しさや息苦しさです


感情をどこかに置いて来たのかと疑問に思われた事があります


私は思うのです

毎日、喪失する自信をどこかで取り戻す最中にまた新たなミスで自己否定に追い打ちを掛けられる

生きてるだけで、そんな体感を抱く脳みそを持ちながら「普通」の感覚を押し付けられる辛さが当たり前になった人間は、まともでは居られないのだと


どれだけ積み重ねても障害は障害

脳自体に障害を抱えるものは、壊す事も退けることも出来ませんから

自ずと周りの評価も下がり、冷たい視線を浴び続ける事は何年経っても慣れるものではありません


その内、人間の心を持っていると正気では居られ無くなるので、無意識に感情に気づかないフリをして誤魔化している様でした


思うように動かない自分の脳の伝達と向き合う中で、自分の事も自分では無いような

まるで他人事のように感じてしまうのです


どれだけ熱心に確認をとっても何処かでミスが生じる

人の2倍の時間をかけてクオリティの低いものを提出する


本人はやる気ですし、出来ている気でいます


イメージ通り体を動かしたつもりが

頭で考えた通り実行したつもりが

思い通りの結果に繋がらないのです


自分を信用出来ない毎日、信用されない毎日

一体何を信じ生活すれば良いのか

程々、分からないまま仕事をしております


「先立つ不幸をお許しを下さい」


という言葉は、遺書の常套句となっておりますが


私の場合は


「先立つ幸せをお許し下さい」


という言葉で閉めさせて頂きたいと思います。


地獄の様に感じる毎日から脱却できる


来世など何も無く ただ灰になって意識が途絶えますように


死なせてくれてありがとう


たい気汚染