【寄稿】優れた保守の論客たちⅢ ~福田恒存 | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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福田恒存は昭和二十九年に「平和論に対する疑問」という文章を「中央公論」に発表し、「保守<反動>」として徹底的に批判を受けました。

今読んでみれば、平和論というより文化人批判なのですね。だから、余計批判された文化人たちは感情的になったのでしょうか。


福田は、この文章のなかで以下のように書いています。


『みんな深刻な顔をして大きな問題にとりくんでゐるあひだに、小さな問題は、とりかへしのつかぬままに、いはゆる社會問題の表面からつぎつぎと消え去つていきます。「文化人」たちは花に蜜を漁る蝶のやうに、未解決の問題をつぎからつぎへと弄んでゐる。』(「平和論に対する疑問」より)


目の前の、小さいけどれもかけがいのない問題を、大きな問題に拡散させることにより、埋没させてしまう。これは私も含め、市民運動に参加するものは、反省せねばならぬところです。常に、このような問題は起きる可能性をはらんでいます。保守とは、このような、身近な、しかし小さい問題にも気を配る感性と言えるかもしれません。




私が、この文章を読んだ時、連想したのは「TPP問題」でした。


「小規模な兼業農家、家族農業」の問題に、真摯に辛抱強く向き合うのではなく、いつの間にか「攻めの農業」だの「ピンチがチャンス」だのの空疎なスローガンが飛び出し、あろうことか「TPPに入らなければ世界の孤児になる」などというお門違いの大言壮語が飛び出します。まさにかけがいのない、土にまみれた「命」である「農」の問題は消えてゆきます。


現在の「ホシュ政党」の目を覆うばかりの劣化は「ホシュ言論人」の劣化に伴っているかもしれません。 渡部昇一、竹村健一・・・あの辺りから、「保守言論」は「ホシュ言論」になり果てました。


殺伐ではありますが、「優れた保守の論客たち」Ⅰ~Ⅲをそろそろしめたいと思います。




私は保守ではなく、右翼ですが、本当の意味での保守の復活に期待いたします。