悪童日記 2.0

悪童日記 2.0

暇な男がが書いてる徒然でしかないブロークン センテンス

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なんと久しぶりの投稿なことか。

嗚呼もうこれだからいけないんだよなあなんて思いつ、文に向かう時はだいたい気まぐれだ。

そもそも文なぞ、書きたい時に書くのであって、強制的に書いたそれは対して自由でなく良くないのである。なんでもそうだ。外からの圧力でなく、自然発生がいいのだ。気がついたらニートになってました。みたいな感じのフランクさが良いのだ。

ニート・フランキーはさておき、とはいえ今回文に向きなおったのは、外からの圧力とまではいかないが、外からまた書いて欲しい、読みたいと、おいおい冗談じゃねえぞと思えるプリティーハッピーな言葉たちを沢山のピープルに言われ、その度にピープルワーズが筆者の鼓膜を突き破り、ついに鼓膜もあれなんでしたっけ僕の役割?みたいなノリでその役割をすっかり忘れてダイレクトに脳みその深くにあるやる気スイッチみたいなボタンがブシブシ押されたのである、まるでカラクリ屋敷の壁一面の本棚の一冊をポチっとなすると、扉が開きますといった具合で、ちょっとやる気が。あれ出てない?なんか鼻から毛が出てない?みたいな感じでフライン毛ならぬ、フライン気を。
というような訳で私は文を書くことを実に2年ぶりにスタートしちゃおうと思うのである。

とか言って、2019年が終わろうとしている。

日記なんだか落書きなんだかわからないこの徒然なるモノの始まりに、また一年が終わろうとしているのである。始まりなのに終わり。始まりと終わりは表裏一体だ。

最近、ふと一年を振り返って思ったのは死についてだ。死も始まりの終わりだ。

2018年も2019年も沢山の有名な方が亡くなっていった。

仕方ない、人はいつかは死んでしまう。

しかし、なんでだろう神さまは、というか運命はかなり性格が悪い、非情だ。とても才あるいい人ばっかりを連れていってしまう。彼らにはまだ宿題が山ほどあったはずだ、人生の宿題が。

幸いなことに相変わらず肝機能の数字はお世辞にも良いとはいえないながらも、筆者は普通に生きていて、果たしてこれで良かったのか?あら?みたいなことを著名人の死とともに考え直しちゃったりするのだ。うーん、と唸って後ろに倒れて天井を見つめちゃったりする訳だ。

なんだか、書いてて真面目過ぎてキモ過ぎわろた状態になっており、あからさまにスタートからしてもう危うい。いつの世も前途多難だ。

それでも生を噛み締め、ぽちぽち書いていこうじゃんか。

オスカー・リーヴマン、ここに再始動。



[完]