3.11 その日 | 誕生学アドバイザーsmileのブログ

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smileこと渡辺忍が講座を通して感じたこと、お産・子育て関連、4人の母の日常、子育ての楽しさなどを伝えていきます。
みんなに備わっている「いのちの力」、生れてくるってスゴイんだよ、としっかり心に届けたい。こどもを産み育てたい!って思える社会のために!!

誕生学アドバイザーのsmileです。

先日訪問した南三陸で伺った震災その日の話、共有します。


その方は南三陸町の職員です。震災後、奥様にまず連絡をして、非難するようにと伝えたけれど、奥様は2階に居るとの返事。心配ながらも業務があり、防災庁舎で指揮を執ります。ここには自治体職員が40数名、その他消防士他で10数名、全部で50数名がここに集まったそうです。


ここの2階には水門の開閉、防災無線など町中の防災設備が集結しており、津波があってもここで指揮が取れるとの想定でした。

防災訓練も毎年行っており、震災後の津波の予報は6m、想定内だったそうです。ところが途中から10mに変更されました。そこで、みなで屋上へ。


この方は自宅の見える方向を見て津波を迎えることに。第一波が家を押し流していくところを奥様のお名前を叫びご覧になったそうです。ご自分のいる屋上まで津波は押し寄せ、頭上まで水がきました。たまたま自宅の方角が非常階段のほうだったため、この方は非常階段の手すりに引っかかる形で助かりました。


同じ波で、屋上にいた方たちほとんどが流され、残ったのは10人。屋上にも手すりがあったけれど、すべて手すりごと流されてしまった。屋上にあったアンテナに上った2人と、非常階段の手すりで合わせて10人。


濡れていないのは二人。その内1人のポケットにライターが入っていた。そして一人がネクタイをしていた。そのネクタイに火をつけ、流されてきたいろいろなもので火をつなぎながら、順に来ているものを乾かして、朝まで過ごしたそうです。3月の東北、どんなにか寒かったことでしょう。


指揮を執るはずの自治体職員がここで多数流されてしまった南三陸町。

復興への道のりもまだまだ道半ばです。

この方も震災の起こった3月末には退職予定で、パーティーが企画されていたとのこと。でも今も、職員として働かれています。


重職にあったこの方は、亡くなった職員のご家族を訪問すると、なぜ家に返してくれなかったのかと責められたこともあったそうです。ご自分の奥様も亡くされているのです。お話を伺っていて、心がズキズキとしました。この奥様には退職の日に花束を贈る予定だったとのこと。東北の方は普段あまりお礼とか口に出して言わない寡黙な方が多いようですが、そんな風に考えていたところ、この震災です。さぞ心残りと思います。


私たちはこうやって生き残った人たちの言葉を心に刻み、忘れてはいけないと思います。


この防災庁舎の白い階段がこの方の命を救ってくれました。