みなさん、こんばんは。
こころとからだを癒す
茂原(もばら)の医師
永野 修です。
「なるほど、そういうことなのか。」
先日、70代の男性の患者さんから、あ
ることを教わりました。
その患者さんは芸術家で鉛筆を使って
とても繊細な絵を描く方でした。
その患者さんの作品は現代美術という
領域のもので、パッと見たところ何が
書かれているのか分からないのです。
ただ、しばらく眺めていると何か気づ
くことが出てくるのです。
「先生、ここに何が書いてあるのかは
自分でも良く分からないのですよ。手
が勝手に描いているのでね。ただ良く
見ると何か自分の中にあるものが表現
されているようなのですね。最近の作
品はどうやらロシアとウクライナの戦
争への想いが出てきているようで、ミ
サイルの形や銃弾の軌跡みたいのが描
かれていますね。この辺りとかはそう
だと思いますね。」
このように診療の合間に自分の作品を
示しながら話をしてくれるのです。
(そうなのか、自分でも良く分からな
いものが作品になるのか。手が勝手に
描いてしまうってどういった感覚なの
だろうか。)
そんな思いを持ちながら話を聞いてい
たところ、こんなふうに話してくれま
した。
「先生、僕はね評価されてしまうこと
は良くないことだと思っているんで
す。もちろん自分の作品が売れること
はありがたいのですが、あまり売れす
ぎでしまうのもどうかと思うのです
よ。」
「なぜ、そう思うのですか」
(どうやら僕は芸術家であれば、自分
の作品が売れて、それが世間に出回っ
て自分が有名になることを望むものと
思っていたようです)
「例えば、ゴッホっていう画家がいた
でしょう。彼の作品は生前まったく売
れなかった。だからこそあのような風
変りな画風の作品が次々と出せたと思
うのですね。
なぜなら、僕らはある作品が評価をさ
れてしまうと、こういった想いが出て
きてしまうのです。
これが世間受けするものなのだ。
だからこれでいいのだ。
この路線でいけばよいのだ。
僕らはこれでよいのだろうかと、どこ
か迷いながら、作品を創っていますの
で、評価を受けるとそこで自分の成長
が止まってしまうのですね。新しいも
のに挑戦することができなくなってし
まうのです。だから同じ画風でずっと
描き続けている画家っていますでしょ
う。それはそれで世間からは評価され
続けますけども、僕は美への表現を別
の形に変化させようとしていく芸術家
が好きですね。」
なるほど、なるほど。
評価と成長をこのように捉えているの
か。
確かに僕らは他人からの評価を気にし
ているところがあるだろう。例えば幼
少期であれば親や先生など目上の人か
ら褒められることを心地よく思ってい
たかもしれない。そして、もしかする
と大人になってもそれが続いているの
かもしれない。他人から良い評価を受
けたいという想いが。
もちろん会社ではそれが昇給などに繋
がるのだから、その考えは当然のもの
と僕は思っていたようで、今回、その
評価を受けることが自分の成長を止め
てしまうかもしれないという考えは新
しい視点でした。
では今の僕はどうだろうか。生まれ育
った地域で訪問診療を始めて1年半。
ある程度の評価を受けてきていること
を感じている。そして、もしかすると
そうであるならば現状のまま続けてい
けば良いのではないかという想いがど
こかにあるのかもしれない。
さて、自分はそれでよいのだろうか。
それとも別の表現をして更なる成長を
していきたいのだろうか。
今回は、そんなことを思い知らせてく
れる出来事なのかもしれないですね。
最後まで読んでいただきありがとう
ございました。
あなたの明日が
素晴らしい一日になりますように。
永野修 公式LINEアカウントです。
みなさんの気づきにつながるような
ブログを選んで、毎週2回、
朝に配信しています。
登録して頂けましたら
とても嬉しく思います。