ごきげんよう。藤村です。
本ブログでは、主に一次資料を出し、一次データからこう導かれる、といった話を主にしてきました。
科学的に政策を分析するなら、数字というものは重要だし、あまり誰も注目していない分野でもしっかりとファクトを突き詰めるのが重要だと思っているからです。
ですが今回は、どちらかというと私の思想を書きたいと思います。
とはいっても、別になんのエビデンスもない夢物語を語るわけではありません。
昨今日本学術会議の件で「学問の自由」が取りざたされています。
曰く、日本学術会議の会員に6人が任命拒否され、「政治が学問の自由を脅かしている」と。
一方、論点ずらしのために日本学術会議自体への攻撃も相次いでいます。
論点はそこではないのに頭が悪いですよね。
そんな中で目立つのは「日本学術会議を民営化しろ」とか。あと「予算が(10億円とか)出ているのだから、総理大臣が口を出して当然」とかいう意見をTwitterよく見ます。
ので、今回はその話を書きたいと思います。
もう少し原則的な話として、予算が出ているからと言って学問の自主独立が崩れるとどうなるか。「金は出せども口は出すな」が崩れると、どうなるのか。
それは私たちがこの10年間、痛感してきたはずです。
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2011年3月11日に発生した東日本大震災、及びその際に発生した巨大津波は、福島第一原発へ襲い掛かり、核燃料のメルトダウンを引き起こしました。
その絶望感も大きかったのですが、同時にあの時、日本国民の科学に対する信頼が大きく損なわれたのではなかったでしょうか。
それはこちらとかこちらとか、様々な調査からも明らかです。
信頼が失われたのは何故なのかと言うと、それまで科学者や政府が「原発は安全」のキャンペーンを張ってきたにもかかわらず、実際にシビアアクシデントが起こってしまったからこそだったでしょう。
東電の寄付講座などで多くの研究資金を得て、見返りとばかりに原発の「安全神話」を振りまいていた科学者たちを指して、「御用学者」「原子力ムラ」といった言葉さえ出てきました。
「金をもらって口も出されているだろう」「だから安全安全と唱えてきたんだろう」と、科学者たちの自主独立が侵されていることを、多くの国民が見抜き、察し、感づいてしまいました。
そして、科学者への信頼が大きく揺らぎました。
またその後、2012年4月から、年間20mSvを超えないであろう地域からの避難者は「自主避難」すなわち「自己責任避難」とさせられました。これは公的な支援がほとんど手薄い、避難するなら自己責任でお願いします、という見放し宣言となりました。
20mSvはICRPの勧告に沿ったものだったようですが、特に小児の低線量被ばくについては科学的にも難しいところが大きく、20mSv超えないだろうから大丈夫!なんて誰も保障出来なかったでしょう。
結果、とても多くの「自己責任避難」を生んでしまいました(住宅提供打ち切りの17年3月頃で12,239世帯と言われています。人ではなく世帯で。)。
以上が、直近で「学問の自主独立」が侵された(というか科学者たちが自主的に手放した面もあります)ことが大きな惨禍を招いた一例です。
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大学はじめ「学問の府」はその国で「何が正しいのか」を科学的に支える役割があります。
当然、その「学問の府」の維持運営には財政的補助を必要、つまるところお金が必要です。
そしてそのスポンサー(東電)が「金を出すから口を出すよ」としてきたら、科学者の発言はスポンサー側へ寄っていくでしょう。「原発は安全というのが科学的に正しい」と唱えるでしょう。
そうして「御用学者」が生まれるのです。
日本学術会議を民営化したら、そのスポンサーのための発言に寄っていくでしょう。
税金を口実に、日本学術会議の人事に権力が介入したら、権力のための発言に寄っていくでしょう。
そしてそんな科学者たちの発言は信じられない。「何が正しいのか」が分からない。
自主避難を迫られた方も、まさに「何が科学的に正しいのか」わからないままに避難された方も多いのではないでしょうか?
本来なら放射線、原発の専門家が「何が正しいのか」を示すべきだったのですが、もしそれをしたとして、あの時誰がそれを信じたでしょう?御用学者の東大のエライ先生が「20mSvで大丈夫」って言って、それが何の保障になったでしょう?
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学問の自主独立が大事なのは、まさにそういったことからです。
つまるところ、「金は出しても口は出すな」を、「あくまで税金」で、極めて高いレベルで達成することが、先進国として、成熟した民主主義社会として求められるという事です。
じゃあ科学者たちは独立の存在として尊重したとして、その上でどうやって政治政策に生かしていくか。
一例を出すなら、イギリスの「政府への科学的助言に関する原則」があの当時は参考にされました。
「政府への科学的助言に関する原則」、イギリス・ビジネスイノベーション技能省、2010年3月24日
・ 政府は、科学的助言者の学問の自由、専門家としての立場および専門知識を尊重し、十分に評価しなくてはならない。
・ 政府および助言者は、相互の信頼を損なうような行為を働いてはならない。
・ 助言者は、その作業において政治的介入を受けてはならない。
・ 助言者は、広範な要因に基づいて意思決定を下すという政府の民主主義的な性格の任務を尊重し、科学は、政府が政策形成の際に考慮すべき根拠の一部であることを認識しなくてはならない。
・ 政府は、その政策決定が科学的助言と相反する場合には、その決定の理由について公式に説明し、その根拠を正確に示さなくてはならない。
ここまで引用。
「金を出しても口は出すな」を達成しても、それをどう現実社会に持ってくるかは政治の役割です。あくまで科学者は科学的視点から「廃プラは減らすべき」と言って、でもじゃあ「レジ袋は有料に」とするのは政治の役割です。
上述の「・ 助言者は、広範な要因に基づいて意思決定を下すという政府の民主主義的な性格の任務を尊重し、科学は、政府が政策形成の際に考慮すべき根拠の一部であることを認識しなくてはならない。」を達成することで、民主主義社会の中に科学的視点を生かすということが出来るのです。
おわりに
この間の騒動を見て、私は「3.11は本当に風化しきったのかな」と絶望感にさいなまれました。
あの時原発の惨禍を見たはずの国民たちは、何を反省したのでしょう。
科学者を原発マネー漬けにしたことで、いかに唾棄すべき事態を引き起こしたか、忘れてしまったのでしょうか。
科学者の独立性、中立性をと議論を深めたのは無駄だったのでしょうか。
哀しいことです。
本当に哀しいことです。