清潔をめぐる議論は、ここ数年で急速に複雑さを増している。単に「きれいに見える」かどうかではなく、“どう成立している清潔なのか”が問われる時代になった。その中で、ナックの空間デザインが提示しているのは、「汚れの排除」ではなく「汚れを許容することで成立する清潔」という、これまでとは異なる観点だ。
本稿では、ナックの事例を手がかりに、清潔がどのようにデザインとして立ち上がるのかを読み解きたい。
■ 1. 「清潔=汚れを消す」という前提の終わり
従来の清潔デザインは、「汚れが見えないこと」「汚れがつきにくいこと」を目標としてきた。白・フラット・角の排除。こうしたミニマルな方向性は、視覚的には強い“無菌性”を演出する一方で、汚れがついた瞬間に破綻する脆さも抱えていた。
たったひとつの傷や小さなシミで「世界観が壊れる」──その脆弱性が、空間に対する過度な緊張や、使用者側の萎縮につながっていた。清潔というより「清潔を維持しないといけない」という強制の感覚が先に来てしまうのだ。
ナックの空間は、まさにこの問題に対するアンチテーゼである。
■ 2. ナックの“許容する清潔”が生む自由度
ナックが採用する素材は、いずれも「汚れを受け止めても破綻しない」ものだ。木材のなめらかな肌理、マットな質感の金属や樹脂、光の吸収率がコントロールされた壁面。これらには“使われた痕跡”を完全には拒まない余白があり、むしろそうした痕跡が自然なレイヤーとして積み重なっていく。
つまり“汚れ”が即座に“欠陥”にならない。
この耐性こそが、ナックが定義する清潔の核心にある。
清潔とは、薄い膜のように表面を覆う「見かけの美しさ」ではなく、空間そのものが持つ“寛容性”によって維持される状態だという考え方だ。使用者はその空間に“触れてはいけない”のではなく、“触れてもよい”と感じられる。これが心理的な余裕を生み、結果として空間は自然と整って見える。
■ 3. 「使われるほど落ちる緊張感」というデザイン
ナックの空間体験には、不思議な性質がある。
最初は清潔で整いすぎているように見えるが、使われるほどに空間の緊張が緩むのだ。
これは、素材の微細な反射率、手触り、光の拡散などが、使用後の状態を“乱れ”ではなく“馴染み”として見せるよう設計されているためだ。例えば、手垢が薄くついても陰影の中に溶け込む。摩耗が増しても風合いとして認識される。
つまり、空間が人を拒絶しない。
それは“汚れを許す”という姿勢が、空間に柔らかさを与えているからだ。
結果としてそこには、いつまでも無理なく保たれる清潔感が宿る。
■ 4. 視覚的清潔から、構造的清潔へ
ナックのデザインを通して見えてくるのは、「清潔」は視覚的に“作る”ものではなく、構造によって“成立させる”ものだということだ。
それは次のような原則に集約できる。
-
汚れがつく前提をデザインに組み込む
-
痕跡を破綻ではなく風合いとして受け入れる
-
素材そのものに、持続的な許容度を持たせる
-
使用者の心理的負荷を減らし、整え方の自由度を高める
これらは、従来の「汚れを排除する清潔」ではなく、「汚れがあっても清潔が保たれる空間」という新しい清潔観につながっている。
■ 5. 清潔の本質は“秩序を維持できる余地”にある
ナック流デザインの本質は、清潔が「ゼロか一か」で決まる状態ではなく、グラデーション的に保たれるべきものとして扱われている点にある。
清潔とは“無菌状態”ではなく、“秩序が回復可能な状態”だ。
多少の乱れが生じても、すぐに戻せる柔軟性。
その柔軟性を建築的・素材的に担保することこそが、現代の清潔デザインの新しい原則だと言える。
そしてこの発想は、清潔を過剰に規範化しすぎた社会に対する、静かな反論でもある。
■ 結論:清潔は「排除」ではなく「許容」で成立する
ナックが示すのは、清潔を「管理すべき理想像」ではなく、「扱える、触れられる、使える状態」として捉える視点だ。
そこには、人間の生活から“汚れ”が完全にはなくならないことを前提にした、リアルな清潔観がある。
汚れを拒絶する空間よりも、汚れを受け止めてなお美しくいられる空間。
そのほうが、はるかに人間的で、現実的で、持続可能である。
ナックのデザインはその事実を、静かに、しかし揺るぎなく示している。
株式会社ナック 西山美術館
〒195-0063東京都町田市野津田町1000

