西櫓と南櫓
長野県上田市天神の「上田城跡公園 芝生広場」にて
西櫓
上田城のサクラを撮りに来たが、時期的にちょっと遅く葉桜が多く
西櫓
それでも、まだ咲いているサクラを入れて葉桜とサクラのコンビです
尼ヶ淵の崖
上田城の今は駐車場となっている場所は、千曲川の支流が流れていた自然の堀となり城を守っていたが、崖面がもろく崩れやすい性質だったことから築城以来保護対策(江戸時代)が行われ、大規模な石垣が設置されています。真田幸村らが徳川軍を2度も苦しめた場所です。
南櫓
この櫓は、明治維新後に民間に払い下げとなっていたものを1949(昭和24年)に移築復元されました。
南櫓
移築前は上田遊郭にあった遊女屋(貸座敷)として使われていたそうです。
南櫓
昭和16年(1941年)に遊郭となっていた2棟の櫓が目黒雅叙園に買い取られていますが、市民の運動によって買い戻されそうです。良かったですね。当時の上田市民に感謝です。
西櫓
この櫓は江戸時代から現存する唯一の櫓です。ただ、真田幸村の時代の物ではありません。幸村の時代の物は徹底的に徳川方に壊されています。二度の敗北は徳川に取っては見たくない城ですからね。
東虎口櫓門
この櫓門は、古写真等を根拠に平成6年度に復元したものです。
真田神社
櫓門を抜けると目の前にこの神社の鳥居が出迎えます。この真田神社は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城と言う歴史から
絵馬のトンネル
「落ちない城」と言うことで、受験生が合格祈願に来るようになったみたいです。自分等が学生時代の時はそんな噂すら無かったけどね。
北櫓
この北櫓と南櫓が移築前は上田遊郭にあった金秋楼(きんしゅうろう)と万豊楼(まんぽうろう)という遊女屋(貸座敷)で連結して使われていたそうです。なお、もともとこれらの櫓2基がこの場所にあった北櫓と南櫓だったかは定かではなく、民間に払い下げられた西櫓以外の6基の櫓のうちの2つであるということだけがわかっているようです。
百間堀跡
この広大な堀跡は市営野球場になっていて、今は他にも球場があるので、ここで甲子園出場の予選をしているかは分かりませんが、自分が学生時代はここで母校の応援をしたものです。
まだ花が残っていました。城の堀に咲くサクラはどこのお城にもあり本当に綺麗ですよね。
隅落とし
本丸土手に見られる「隅おとし」は上田城の特徴のひとつです。上田城本丸の北東(丑寅)の方角は鬼門にあたることから土塁の隅を切り込み「鬼門よけ」としたものです。