東の追分
三重県亀山市関町木崎の「旧東海道」を散策してみました。東の追分は関宿の東の入口にあたり、東海道と伊勢別 街道が分岐していました。今も残る大鳥居は伊勢神宮を遙拝するためのもので、20年に一度の神宮式年遷宮の際に、内宮宇治橋南詰の鳥居を移したものです。
常夜灯
この奥は一里塚の有った場所にもなる。また、この常夜灯は
常夜灯刻印
元文五年に造られたもので、西暦では1740年になり、今から280年前の代将軍徳川吉宗の時代の作品になる。多分この常夜灯は将軍吉宗を見ているでしょうね。
関宿入り口
関宿は東海道五十三次で47番目の宿場で、東の追分からの風景です。
東の追分方面
朝の人が少ない時間帯に
東の追分方面
チビにちょっと歩いてもらいました。
御馳走場
関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりしたところ。
西の追分方面
御馳走場の空いている場所に車を止めて、チビに降りてもらい写真をパチリ。右側に開けたままの車のドアが・・・!
伊藤本陣跡
当時の敷地間口は11余間、建坪69坪、唐破風の表門があったそうです。現在残されているのは居宅と道具置場だった建物で木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、開口部が格子窓で2階外壁両側には袖壁が設けられ、2階の外壁が前に張り出すせがい造りになっています。
関宿旅篭玉屋歴史資料館
玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する大旅籠のひとつだったそうです。
高札場
関宿の高札場は、現在の関郵便局前に、八枚の高札があったとされ、生活にかかわる様々な模範、キリシタン令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定等が書かれていました。
旧東海道
西の追分から少し入った所から東の追分方面をパチリ。
関宿西の追分休憩施設
早朝だったために旧東海道の店は全部の家が戸が閉まっている状態でした。
西の追分
旧東海道関公園より、右側が旧東海道で、左側が国道1号線。1号線の青い標識に書かれている左の矢印方向が大和街道になり東海道との分岐点になる。