桜井線(万葉まはろば線)
奈良県桜井市箸中のホケノ山古墳より、昨日載せれななかった箸墓(はしはか)古墳とホケノ山古墳の間を走る電車。ちょっと分かりにくいが、箸墓古墳の森の右下のビニールハウスの所に電車がいます。
景行天皇 山邊道上陵(渋谷向山古墳)
奈良県天理市渋谷町の西側にある拝所。
景行天皇陵
この古墳は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父と伝えられる第12代景行天皇の陵墓とされ、「景行天皇山辺道上陵(けいこうてんのうやまべのみちのへのみささぎ)」として宮内庁が管理しています。
景行天皇陵
全長約300m、後円部径約168m、後円部の高さ約25m、前方部幅約17m、前方部の高さ約23mを測り、前方部はほぼ西を向き、周りには濠が巡っています。埋葬施設は不明。
三輪山(標高467.1m)
大物主大神を祀る大神神社(大和国一宮、奈良県桜井市)が三輪山の西麓にある。大神神社は三輪山を神体山として扱っており、山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている。
景行天皇陵
この渋谷向山古墳は、出土埴輪から古墳時代前期後半の4世紀後半頃(または4世紀中頃)の築造と推定される。
三輪山
三輪山は古代より人々の心の拠り所であった。7世紀後半、白村江の戦いに敗れ近江の大津宮に遷都するとき額田王が詠んだ歌が「三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべしや」『万葉集』巻1‐18  自分は「三輪ソーメン」しか頭に浮かびません。
唐古・鍵遺跡 史跡公園
環濠
奈良県田原本町唐古の「唐古・鍵遺跡 史跡公園」にある「環濠」は、ムラの周りに何重にも掘られ、洪水からムラを守り、運河としても利用されていた。(説明板より)
大型建物跡
2200年前の大型建物跡(長辺13.2m X 短辺6m)が発掘され、柱にはケヤキ材が使われ、北西隅の柱は太さが83cm(樹齢110年)もある弥生時代最大級のものでした。高床の建物と推定され、大型の倉庫の可能性があります。復元では、建物の柱を床の高さ2mで表しています。(説明板より)
唐古・鍵遺跡 史跡公園
今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置するこの地には、日本最大級のムラがありました。唐古・鍵遺跡は、幾重もの環濠に囲まれた弥生時代の集落の遺跡です。
高角砲台座跡
この八角形のコンクリート構造物は、太平洋戦争末期につくられた高角砲の台座です。ここから東約2kmにつくられた海軍柳本飛行場を守るために、その周辺に数基の砲台が置かれていました。
楼閣
この楼閣は、紀元前1世紀頃の壷に描かれた絵画を元に復元しました。刻み梯子で登る高床建物で、欄干には鳥、屋根には渦巻飾りがついています。宗教的な建物として、唐古・鍵遺跡のどこかに建てられていたと推定していますが、実際に楼閣が建てられていた場所はまだ特定できていません。(説明板より)
龍王山
太古の時代よりこの山の姿は変わっていないと思う。弥生時代の人々も、この山を見ながら生活をしていたんだろうな?
唐古池
池の周りには桜の木が植えてあるので、春先はまた違った景色でしょうね。
説明文
唐古・鍵遺跡 史跡公園は散歩している人々が大勢いるために、チビを連れての散歩は出来ませんでした。