二の丸跡
群馬県沼田市西倉内町にある「沼田城址」は、今は公園として整備されている。この二の丸跡は二面の野球場になっています。
本丸堀跡
詳しい説明は下の文を見てください。
説明立て札
真田信之と小松姫(稲姫)の石像
小松姫は、徳川四天王の本多忠勝の長女で、真田信繁(幸村)の兄である真田信之の正室。
鐘楼
真田氏二代沼田城主河内守信吉が、領民の心を清め国家の安全を祈って、寛永十一年(1634一六三四)7月城下の鍛冶町で鋳造させ城内の三の丸にかけ毎時鳴らさせた。実物の鐘は中央公民館に保管・展示されているそうです。複製された鐘は今も夕刻6時の時を告げていました。
本丸跡
沼田氏12代の沼田万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)によって天文元年(1532年)4月に造られたが、築城から37年で沼田氏が滅び、以来戦国期の名だたる武将の支配下に置かれた。天正18年(1590年)真田信幸が城主となり、慶長9年(1604年)、御殿桜の位置に3層建の隅櫓を築造し、次いで慶長12年(1607年)に5層の天守閣を築造し名城を完成させた。その後、天和元年(1681年)11月、5代城主信直が沼田領3万石を徳川幕府に没収され、城郭は跡形もなく取り壊された。
御殿桜
沼田城の天守閣が5層の雄志を誇っていたころ(約400年前)に植えられ、今に残る沼田城形見の名木であり、沼田城跡のシンボル的な樹とされている。
西櫓台跡石垣・石段
この石段を上った上に御殿桜がある。
説明立て札
西櫓台石垣
ここが唯一城跡らしき物。左側に御殿桜が張りだして、桜保護のために立入禁止になっています。
天狗堂
日本一 の木彫 大天狗
堂内には昭和34年に、吉沢俊三郎によって造られた長さ3m、幅2m、鼻の高さ1.4m、重さ1tで、日本一の大きさを誇る木彫りの天狗面が安置されている。
平八石
沼田平八郎景義 の首級を載せた石。平八郎 は沼田城(蔵内城)を築いた沼田氏12代顕泰の側室の子で、摩利支天の再来とまでいわれた勇将。 (説明立て札抜粋)

捨曲輪跡
正保元年(1644)に幕府が諸藩に命じて作成させた正保城絵図で古城と記されている場所。この捨曲輪が、沼田氏が築城した初期の沼田城の本郭であったといわれた場所
沼田市街地
沼田城址公園から見える市街地と標高1,296.4mの子持山
毎年やって来るお盆も終わり、暑い日が続きますが皆さんは夏バテもせずに元気でお過ごしでしょうか?ブログの写真を撮るのにも昼間の暑い時間帯ではチビを車に置いて行けず、かといって日陰で休むと太陽光でバッテリーに充電出来ないので、結局はアイドリングして車で夕刻まで待つ事になります。今までは車の窓を開け、扇風機を付けて自分一人で写真を撮りに行っていたが、今年の暑さは尋常では無いのでそれもできません。皆さんもコロナや暑さに負けないように気をつけてお過ごしくださいませ。