大福銀山十二山神社
新潟県魚沼市下折立にある「大福銀山十二山神社」付近を散策してみました。
大福銀山十二山神社
江戸時代に只見川の上流で銀が発見されると、越後(高田藩)側の上田銀山と会津(会津藩)側の白峯銀山の2つの鉱山が開かれ、合わせて「大福銀山」と呼ばれていました。しかし、二度にわたる出水と坑道の崩落により、江戸時代末期には、大福銀山は完全に閉山してしまいます。
大福銀山十二山神社
その後、昭和28年(1953年)から奥只見ダムの建設が始まり、総工費360億円をかけ昭和37年(1962年)に完成。これにより、集落と上田銀山・白峯銀山の間歩跡は湖底に沈んでしまいます。
御手洗舎
奥只見湖の正式名称は「銀山湖」といい、かつてこの付近が「銀山平」とよばれていたことに由来します。しかし、実際に銀を採掘した銀山の位置とは異なり、恋ノ岐川から大津岐川にかけての只見川流域が銀山であり、国道352号沿いの滝ノ沢に銀山跡をみることができます。越後・高田藩は、銀山開発に着手した明暦3年(1657年)に山の神「十二山神社」を祀って起工式を挙行。
御手洗鉢
小栗茂吉が天然石に「明暦酉年四月吉日」と刻まれた御手洗鉢は神社建立時に奉納したもの。
供養塔
集落が水没してしまった今、神社は供養塔と共に、湛水地帯を見下ろせるこの地に移築されています。
供養塔
チビの散歩はここまでです。この後はチビを車に置いて「銀山坑道跡」へ行きました。
説明板
銀山坑道跡への道
道が二手に分かれていて、銀山坑道跡は立て札によると左側だが右側に行って見ると
奥只見湖
湖が見える場所があった。
銀山坑道跡への道
こんな道を下りて行くと
銀山坑道跡
坑道跡があったので
銀山坑道跡
中を覗いて見ると、立っては入れない高さで幅も一人しか通れない狭さでした。
銀山坑道跡
上の写真の一番手前右側の凹んだ場所です。奥行きはほとんど無かったですね。
説明立て札