現在は田舎にいるために写真のストック終わってしまったので、今まで撮った写真の中からテーマ別に分けて載せてみました。今回は古墳です。

王山古墳群     2016年4月5日
福井県鯖江市日の出町にある王山(標高62m)の小山には、弥生時代後期(3世紀)から古墳時代中期(5世紀)に築造された総数49基からなる古墳群が有る。
和久1号古墳  2016年7月13日
山口県下関市豊北町神田上の「道の駅北浦街道 豊北」隣に有る古墳時代後期の円墳で、横穴式石室と武器、工具、馬具、装身具、土師器、須恵器などが出土している。
塩谷古墳群公園  2016年11月5日
京都府京丹波町曽根深シノにある「道の駅京丹波味夢の里」に隣接している。直径8mから最大15.5mの12基の古墳から成り立つ古墳群を整備した公園。5号墳からは2体の巫女形埴輪が出土している。
三室まどがけ古墳群  2017年4月14日
石川県七尾市三室町にある6世紀後半から7世紀の円墳で、県道拡幅工事に関連して、2・3号墳が発掘調査されて、現在地に移築されている。
皇子塚古墳  2018年5月1日
群馬県藤岡市三ツ木東原にある皇子塚古墳は、直径31m、高さ6mの四段に築かれた円墳。内部構造は両袖型横穴式石室で、羨道、前室、玄室からなる複室構造となり、石室の大きさは全長8.33m、前庭部を含めると12.16mある。石室からは人骨、馬具、刀装金具、ビーズ玉、鉄鏃・弓金具、耳環が、前庭からは単龍環頭大刀の柄頭、須恵器等が出土している。
小二子古墳  2018年5月4日
群馬県前橋市東大室町の大室公園内にある全長38m、後円部径30m、高さ5m、前方部幅18mの横穴式石室を備えた6世紀後半の前方後円墳。円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、土師器、武器、装身具などが出土している。
前二子古墳  2018年5月4日
群馬県前橋市東大室町の大室公園内にある全長94m、後円部径68m、高さ14m、前方部幅65mの両袖型横穴式石室を備えた6世紀初頭の前方後円墳。円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、土師器、装身具、馬具、武器、農耕具、鉤状金具などが出土している。
十來塚  2018年6月17日
青森県新郷村大字戸来字野月にある「キリストのお墓」とされている。
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間〜3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。
7号墳  2019年3月31日
岐阜県関市千疋の「塚原遺跡公園」にある塚原古墳群は37基の円墳があり、1号墳と7号墳は当時の姿に復元されている。
塚原遺跡公園  2019年3月31日
岐阜県関市千疋にある、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が公園になっている。
丸山古墳  2019年4月16日
奈良県橿原市五条野町にある墳丘長318m、高さ21mの6世紀後半に造られ、その大きさは全国6番目、県下最大規模の前方後円墳。丸山古墳に葬られた人は、欽明天皇や蘇我稲目など当時の我国を治めた人物が有力視されている。
石舞台古墳  2019年4月16日
奈良県明日香村島庄の「石舞台古墳展望台」より。
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれる。墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐる。石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。この巨大古墳が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力である。
植松1号古墳  2019年12月3日
山口県下関市菊川町大字吉賀にある古墳時代後期の横穴式石室古墳(円墳)。年代的には5世紀~6世紀(古墳時代後期)群集墳として小規模のものが多く作られている。この地域にはもう一つ古墳(平松2号古墳)の存在が確認されている。
長屋王墓
奈良県平群町梨本にあるこの墓は前回も載せたが、今回なぜまた載せたかと云うと「新型コロナウイルス関連肺炎」で漢語水平考試日本事務局が、中国湖北省の湖北高校に送る救援物資の段ボールに添えた小さな1枚のメッセージに「山川異域 風月同天」段ボール箱の張り紙に記載。この漢詩は長屋王(飛鳥~奈良時代)が中国の高僧「鑑真和尚」を日本に迎えるために、唐(遣唐使)に送った千着の袈裟に刺しゅうされていた1文。その刺しゅうには、「山川異域(山川域(さんせんいき)を異(こと)にすれども)風月同天(風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす)寄諸仏子(諸(これ)を仏子(ぶっし)に寄(よ)す)共結来縁(共(とも)に来(らい)縁(えん)を結(むす)ばん)と縫われており、これに心を動かされた鑑真和尚が、苦難と死を覚悟で日本に行く決意を決めたと言われているようです。1300年以上も前のこんなエピソードの漢詩を添えて救援物資を送る日本人の粋なはからいに感動し、長屋王の博識に思いを寄せこの墓を載せてみました。
漢詩の意味(解釈)
私たちが生まれた国土は違いますが、天空を吹く風や、月には国境はありません。この袈裟を、仏教を学ぶみなさまにお贈りします。ともに永遠の縁を結ぼうではありませんか

説明文はWikipedia及び各都市のホームページなどを参照させてもらいました。