①朝倉川と城下橋
愛知県豊橋市今橋町にある「吉田城址」を散策してみた。チビは城下橋を渡って行くのと、人が多そうなので車でお留守番です。
②本丸堀
 吉田城の歴史は、永正2年(1505)、牧野古白により今橋城が築かれたことに始まります。 戦国時代、東三河の要であった今橋城は、激しい攻防が繰り返されるなか、名称も吉田城と改められました。永禄7年(1564)には松平(徳川)家康が吉田城を攻略し、城主に酒井忠次を置きました。 天正18年(1590)、家康の関東移封によって池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張や城下町の整備を行いましたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後姫路に所替えになりました。 江戸時代には東海道の要衝として譜代大名が在城しましたが、財政的要因のため完全に整備されないまま明治を迎えました。
③腰曲輪と豊川
豊川に面した部分の防御のために造られた曲輪(くるわ)
④鉄櫓(くろがねやぐら)
鉄櫓は1954年(昭和29年)に模擬再建されたもの。この出っ張りのある石垣は打込接ぎによるもので、これは17世紀前半に名古屋城の天下普請で余った石材を転用したものと考えられている。
⑤北御多門跡
北御多門は本丸の裏手側に設けられていた門
⑥本丸跡
四隅に櫓を配し、中央には宝永大地震(1707)で倒壊するまで、将軍上洛時の宿所にした御殿があった。
⑥鉄櫓
吉田城で最大の櫓、古絵図には、天守と描かれたものが何枚かある。
⑦武具所
⑦豊川
鉄櫓は休館日以外は入場できるのだが、あいにく休館日だったので武具所から見た風景になります
⑦吉田大橋
豊川に架かる橋
⑧南御多門跡
本丸の正面入り口にあった門。
⑨裏御門跡
⑩二の丸跡
歴代の城主が住んだ御殿があった場所
⑪三の丸口門跡
写真撮影場所
入道・辰巳・千貫櫓は立入禁止になっていました。明日はこの続きになります。