武田八幡宮ニノ鳥居
山梨県韮崎市神山町北宮地にある「武田八幡宮」に行ってみた。
一石百観音石像
武田八幡宮の手前にある
説明文
武田八幡宮
山梨県韮崎市神山町北宮地にある武田八幡の入り口になり、左右に御神木らしい右側幹周5. 70m樹高30m、左側幹周6. 20m樹高30mある杉の大木がある。
御神木
これは向かって左側の御神木
御神木
これは向かって右側の御神木で、大木に良く見られる根の部分が空洞になっている。
御神木
時々この中に祠などが置いてあったりするが、置いてなかったのでチビの自由にさせてみた。
石鳥居
鳥居には天正12年に補修した旨が刻まれている西暦に直すと1584年で、435年前に補修したことになる。ネット資料によると室町時代に造られたものとある。ひょっとしたら、武田信玄もこの鳥居に手を触れたり、くぐったかもね。
総門
武田八幡神社の創立は弘仁13年(822年)に旧来から武田武大神と崇められていた武田王の祠廟に宇佐八幡宮を勧請し、当地の地名である武田を冠して武田八幡宮と称することとなったと伝えられている。
舞殿
拝殿
この石段は、武田信玄も歩いたかも知れないくらい年期が入っていた。
本殿と拝殿
拝殿の奥にある本殿は、天文十(1541)年、武田晴信(信玄)が家をつぐと、父信虎が十年前に着工した八幡宮の再建の大事業を引きつぎ、その年の12月23日には落成しました。現存する本殿は、今を去る450年程前に信虎・晴信の父子二代により完成したものです。 Copyright © 武田八幡宮 All Rights Reserved.参照
総門裏側
この武田八幡宮は本殿から二ノ鳥居まで一直線上に建てられている。
総門からの風景
左側に、一石百観音石像とその説明文の立て札がある。この八幡宮でもチビは機嫌良く自分に付き合ってくれました。