二回生 永野俊介 人間環境学部 スポーツ健康学科

こんにちは 今回は僕と父親の関係について書きたいと思います。
知ってるとは思うのですが大阪桐蔭高等学校サッカー部監督の息子です。みんなからは「よーやるわ」とか「絶対に嫌やわ」とか言われ続けてきました。でも僕はあえて厳しい道のりのほうを選び親子の関係が崩れる覚悟で入学しました。
グランドで会う時 学校でサッカーノートを渡す時 なにかを報告する時も敬語で本当に過酷でした。寮生活だったのでプライベートでは会うことはなく お盆休みや正月休みも家では話をしない日のほうが多いぐらいの関係にいつのまにか なっていました。
練習や学校では一度も父親とは思ったことがないぐらい厳しく接しられ自分も接して来ました。
そして 親子共に戦ったのも近畿大会優勝までの道のり と プリンスリーグ最終節の滝川第二戦そして3年間の練習だけです。それ以外は2部リーグで戦ったりプリンスリーグのベンチに入ったりでした。
そういう悔しさを胸に毎日 奮闘してきた結果 最後の選手権では2日前までスタメンを勝ち取ることができていたのにも拘わらず1日前にメンバーから外され自分のマグネットはCチームのところにありました。
そしてその初戦で負けてしまい人生で一度しかない選手権が終わりました。
その後 姉から聞いた話なのですが息子を初戦に出すのは保護者からのきつい目もあるから外した、でも次の試合では使うつもりだったと聞き、自分はその時悔しさがこみ上げてきましたでも父親を恨んだことはありません。逆に学ばされたのだと自分に問いかけながら今までやってきました。だから今もなお高校生並みに熱く毎日の練習に挑めるのだと思います。
これが高校3年間の父親との関係 そして父親からいろんなことを学ばされたことでした。

ご視聴ありがとうございました。