スポーツ健康学部 2回生 アルカモネ 朋
 私はイタリア人の父の影響で、サッカーを始めました。父は大のナポリファンでずっとマラドーナのプレー集見せられて育ちました。特に上手いわけでもなく、友達と楽しむ程度にサッカーを続けていました。
 中・高でも部員11人ギリギリの弱小校でしたが6年間楽しむことを忘れずにサッカーをやっていました。しかし、一回厳しい環境に身を置いてサッカーと向き合ってみたいと考えた私は鹿屋体育大学を受験することにしました。
 もともと勉強が得意ではないので、一日中机に座って勉強し続けることは拷問に近い苦しみでした。実際高校三年の時には勉強を投げ出してしまい、1年間の浪人生活を強いられることになりました。予備校に行けるだけの資金がなかったので、家で一人毎日勉強を続けていましたが、結局さぼってしまってまた1年、次で駄目なら諦めようと考えていました。人間後がなくなると頑張れるもので、勉強を続けることが苦しく無くなっていきました。電車の中では英単語帳を使って暗記をし、寝る間を惜しんでは苦手な数学の問題を自力で解けるまで続け、朝から晩まで大学合格のために勉強をしていました。そのおかげでセンター試験ではよい結果を出すことができましたが、残念ながら実技試験である二次試験で失敗をしてしまい鹿屋体育大学には合格することはできませんでした。しかし、この経験から諦めない気持ちと継続する大切さを得ることができました。
 大学でのサッカーは僕が想像する以上に過酷できついもので、200以上所属する部員の中で厳しいスタメン争いがあり、そんな中で自分をアピールしなければなりません。自分は次で3回生ですが下手くそでアピールすらできていない状況が続いています。そんな苦しい状況でも2年間の苦しい浪人生活を耐え抜いた経験を糧に諦めず頑張っていきたいと思います。