人間環境学部 スポーツ健康学科 2回 平川彰浩

産大サッカー部に入団して今年で3シーズン目になりますが、僕がプレーした期間は、約半年くらいです。
その理由は今から語ります。
幼稚園からサッカーをしていて、中学1年生までは怪我なくサッカーすることができていました。
中学2年生になると、ちょっぴり怪我が増え始めました。これが怪我のオンパレードの始まりです。
そこから、何度か怪我をしていましたが、大怪我とゆうことはなく、大阪産業大学付属高校に行きました。
そこでの初めての怪我は高2の時くらいです。
またかぁ〜と思いながら、リハビリに取り組み復帰するも、またその1ヶ月に怪我。治って、怪我。を繰り返しました。
そんなこんなで、高校3年間を振り返ってみると、3ヶ月に1回のスパンで怪我をしていました。
世の中にある、あらゆる怪我とゆう怪我をこの3年間で経験しました。
高校で悔いしか残っていなかったので、大学でプレーすることを決めて大阪産業大学に上がりました。
ここまで怪我をしているし、さすがに大学に上がれば怪我することはないだろうと思っていました。
ですが、入学前に怪我をしました。入学前に怪我をしたことにより、グランドに上がれないので友達が全くできないとゆう悪循環が起きて最悪でした。
そして怪我をして復帰、怪我をして復帰を繰り返して二回生になりました。
お祓いにも行きましたし、もう怪我することはないだろうと思っていたら、去年の6月に足首の腓骨を折りました。ここで手術と言われて人生最大の大怪我をしました。
みなさんココイチと言えば、連想するものは何ですか?カレーですよね。
そんな感じで、平川彰浩と言えば「大怪我」とゆうレッテルを貼られてしまいました。
ものごっつ嫌です。
このレッテルを何とか変えるために、サッカーをプレーする為に、リハビリに取り組んでいますが、未だに復帰していないです。
ですが、この怪我を通じて、感じたことがありました。
それは、家族やサッカー部の仲間、スタッフや友人の大切さです。
声をかけてくれる家族や、スタッフや友人。軽はずみに、もうサッカー辞めたらいいやん。と、いじっているのか本気で言っているのか丁度境目くらいのトーンで声をかけてくれるサッカー部の仲間。
手術をしたとき、もうサッカーやめようかなとも考えていた時もありましたが、そのような人たちが居て、もう一度頑張ろうと思えました。
あと残り大学サッカーでは2年もありませんが、本当に怪我なく過ごしてサッカーをプレーして行きたいと思います。サッカーは大好きです。だから観るのではなくプレーしたいです。
がんばります。
今年は、おみくじが凶だったので、やれそうな気がします。
最後まで読んで頂きありがとうございました。