2回生 人間環境学部 スポーツ健康学科の
松本歩です。

今年、僕の大好きだった人が亡くなりました。
じいちゃんです。
じいちゃんは僕が小さい頃からずっと一緒にいました。
親が共働きだった事もあり、保育園にもよく自転車で迎えに来てくれていました。帰りは二人でちょっと遠回りして探検したがら帰ったりしてました。小学校の時は、じいちゃんが畑仕事してるのに、ちょっかい出して追いかけっこするのが好きでした。お盆、正月に親戚が集まった時はみんなでじいちゃんと相撲もしました。でもじいちゃんは1人でみんなを倒して、本当に強くて最強でした。中学生になると、じいちゃんに反抗することが多くなり喧嘩をよくしました。犬の散歩をしろ、風呂掃除をしろ、宿題はしたか。些細な事ですぐ喧嘩になりました。高校に入ると朝は7時過ぎに家を出て、夜は部活で忙しく毎日帰るのが10時過ぎになり、なかなか顔を合わす事がなくなり、話す機会も少なくなっていきました。高3の夏、僕が『大阪の大学にいく』ってじいちゃんに言ったら、『そうか…』その一言だけで、すこし寂しがってる様に見えました。大学生になり、大阪での生活が始まってすぐ、じいちゃんから手紙が届きました。そこにはいろんな事が書いてありました。
一つ、自分の身体は自分で守れ。
一つ、タバコは絶対に吸うな。
一つ、人に騙されるな。
一つ、身の回りは整理整頓しておけ。
一つ、良い友をつくれ。
そんな事が書いてありました。
それから僕とじいちゃんの手紙交換がはじまりました。去年の夏、じいちゃんが脳梗塞で突然倒れた。救急車で運ばれ少し入院してすぐ退院できたものの、右半身に麻痺が残りました。それから、あきらかに手紙の字が読みづらくなりました。でも、じいちゃんは一生懸命に毎回の手紙を書いてくれました。帰省した時に、家の廊下や風呂場、トイレなどに無かったはずの手すりが付いていて驚いたのを覚えています。それでもじいちゃんは元気な顔をしていました。今年の年明け、ぼくの目の前でじいちゃんが倒れました。すぐに救急車を呼び、じいちゃんを抱きかかえていました。救急車が来るまでの数分、本当に怖かったです。死んでしまうかもしれないと思いました。次の日、元気な顔でまたウチに帰って来ました。なんだ、元気でよかったと、ホッとして大阪に帰りました。7月、母からじいちゃんが弱っていて今日から入院する、病院の先生からもそろそろかも知れないと言われたと連絡がありました。友達の結婚式があって帰省したときに少し時間があったのでお見舞いに行きました。今まで見た事ないぐらい顔も体も痩せていてキツそうにしているのがわかりました。多くは話すことは出来なかったけど、帰るときに僕が『握手しよ!』と言って手を出しました。痩せて細くなった手で、じいちゃんは僕の手を握ってくれました。僕が離そうとしても離さずに強く強く握ってくれました。どうせまたすぐ元気になってウチに帰って来るだろう。そう思いながら新幹線で大阪に帰りました。翌日の夕方、兄からじいちゃんが亡くなったと連絡がありました。信じられなくてその日は寝れませんでした。そんなはずがないと思いながら新大阪に行き、新幹線に乗り佐賀に向かいました。新幹線の中でも信じられなかった。家に着くとじいちゃんが白い布団の中で目を閉じて寝ていました。信じられなくて、ほっぺたを触ったら冷たくなっていました。そのときに、本当にじいちゃんは死んだんだ、と思いました。いっぱい泣きました。じいちゃんっ子だった僕は、数え切れないほど思い出があって、僕にとってじいちゃんの存在は本当に大きなものだったからです。本当に信じたくありませんでした。でも現実を受け止めて進んでいかなければなりません。葬式を終え、大阪に帰って最初にじいちゃんとの手紙を全部読み返して、また泣きました。それから、この手紙は僕の大切な宝物になりました。時々、しんどくなったりきつくなった時にはこれを読み返し、パワーも貰います。じいちゃんは今でも天国で見守ってくれていて、だからキツい事、悲しい事があっても頑張れています。
じいちゃん、ありがとう。
これからも、よろしく!!


長くて下手な文章を最後まで読んでくれて、
ありがとうございました。