松山、ホストプロの意地
プレーオフ制し国内6勝目

 

 
<男子ゴルフ・ダンロップフェニックス 22日・第3ラウンド
◇宮崎・フェニックスCC(7,027ヤード、パー71)
◇賞金総額2億円(優勝4,000万円)
 

 

 


世界のメジャー大会でも上位入賞、米PGAツアーのシード選手が、ここ一番で勝負強さを発揮した。

松山がホストプロとして海外勢を迎え撃った大会は、終盤に劇的な展開で、悲願の優勝を勝ち取った。松山が、5バーディ、4ボギーの70で回り、通算15アンダーで並んだ岩田寛をプレーオフで下して日本ツアー今季初優勝、ツアー通算6勝目(アマ時代を含む)を挙げた。


2打差の単独トップでスタートした松山だったが、前半はスコアを伸ばせず後続に追いつかれる。

勝負のかかったサンデーバックナイン。終盤15番、16番と連続ボギーで13アンダーに後退。17番を迎えた時点で8ストローク伸ばした岩田とは2打差をつけられていた。

しかし、ここからアメリカPGAツアーでも何度も見せた上がり2ホールでの驚異の粘りを発揮。「17番でボードを見て岩田選手が15アンダーで上がっていたので焦りました」と4メートルのフックラインを沈め、1打差で最終18番を迎えると、フェアウェイ中央からのセカンドを5番アイアンでグリーン左奥カラーに運んでイーグルチャンスを作った。

決めれば優勝のスライスラインは、カップに届かなかったものの難なくバーディを決めてプレーオフに突入。最後は東北福祉大先輩との一騎打ちを制して見せた。

クラブ契約を結ぶダンロップが主催とあってホストプロとしての周囲の期待も大きく、米ツアー初優勝を遂げたザ・メモリアルトーナメント以上に集中していた。41回目の大会で、日本人選手としては7人目の優勝となったが、ダンロップと契約する日本人選手では初優勝と大役を果たしたことになる。

松山の今年は、タイガー・ウッズが主催する招待試合の「ヒーロー・ワールドチャレンジ」(12月4~7日、米国)に出場して全日程が終了。年明けすぐに米ツアーは再開し、昨シーズンの優勝者のみが出場するヒュンダイトーナメント・オブ・チャンピオンズ(1月9~12日、米国)から始動する。


歴代優勝者

 



1974年 ジョニー・ミラー (アメリカ合衆国)
1975年 ヒューバート・グリーン
(アメリカ合衆国)
1976年 グラハム・マーシュ (オーストラリア)
1977年 セベ・バレステロス (スペイン)当時20歳7ヵ月で優勝。大会最年少記録。
1978年 アンディ・ビーン 
(アメリカ合衆国)
1979年 ボビー・ワドキンス(アメリカ合衆国)
1980年 トム・ワトソン(アメリカ合衆国)
1981年 セベ・バレステロス (スペイン)4年ぶり2度目
1982年 カルビン・ピート 
(アメリカ合衆国)
1983年 陳志明 (台湾)
1984年 スコット・シンプソン (アメリカ合衆国)
1985年 中嶋常幸 (日本)日本人選手として初制覇
1986年 ボビー・ワドキンス (アメリカ合衆国)7年ぶり2度目
1987年 クレイグ・スタドラー
(アメリカ合衆国)
1988年 ケン・グリーン(アメリカ合衆国)
1989・1990年 ラリー・マイズ(アメリカ合衆国)大会連覇
1991年 ラリー・ネルソン
(アメリカ合衆国)
1992年 デビッド・フロスト (南アフリカ共和国)
1993年 アーニー・エルス 
(南アフリカ共和国)
1994・1995・1996年 尾崎将司 
(日本)
日本大会3連覇 1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。
1997年 トム・ワトソン アメリカ合衆国17年ぶり2度目
1998年 リー・ウエストウッド (イングランド)
1999年 トーマス・ビヨン (デンマーク)
2000年 片山晋呉 (日本)
2001年 デビッド・デュバル (アメリカ合衆国)
2002年 横尾要 (日本)
2003年 トーマス・ビヨン (デンマーク)4年ぶり2度目
2004・
2005年 タイガー・ウッズ (アメリカ合衆国)大会連覇
2006年 パドレイグ・ハリントン (アイルランド)この年からパー70に変更。
2007年 イアン・ポールター (イングランド)
2008年 プラヤド・マークセン (タイ)距離延長に伴いパー71に変更。
2009年 エドアルド・モリナリ (イタリア)
2010年 池田勇太 (日本)
2011年 武藤俊憲 (
日本)3日目が雨による不良のため中止。54ホールに短縮。
2012・
2013年 ルーク・ドナルド (イングランド)大会連覇
2014年 松山英樹 (日本)