サッカーといえば、ワールドカップ
五輪ピックの男子サッカーは、23歳以下の代表+3名のオーバーエイジ枠なので、格下の大会という印象である。
東京五輪ピックでの男子サッカー、驚いたのは、8月6日メキシコに3位決定戦で負けたときの久保建英選手の泣きっぷり、半端じゃなかった、、、
「今までサッカーをやってきて、こんな悔しいことはない」 とか、、、
そうなんですよ、7月25日の予選では快勝しているのに、なぜ勝てなかったのか、国民の期待に応えられかったのか、一般ピープルとしてはメダルが獲れなくて悔しかったんだろうなぁって、、、
そういえば男子野球も金獲得って、メジャーが参加していない大会で世界一なのかなぁ、、、
サッカーで思い出したのが、1968年のメキシコ五輪ピック
10月24日、メキシコでの3位決定戦は、日本が地元メキシコを2―0で破って、銅メダル獲得。
報道を引用すると「試合は終始メキシコペースで進んだ。しかし、日本は数少ない好機を生かして、得点に結びつけた。前半22分、杉山隆一のパスを釜本邦茂が胸で落とすと、落ち着いて左足で蹴り込んで先制点を奪った。そして35分にも、同じコンビで2点目を挙げた。 後半早々、メキシコはPKを獲得したが、GK横山謙三がこれを止めた。地元メヒコ(メキシコ)の不甲斐なさに、アステカ・スタジアムを埋めた約4万人の観衆は「ハポン(日本)、ハポン!」と、次第に日本を応援。最後は、敵地メキシコの観客の感動まで誘った。日本が未知の栄冠を手にした瞬間、敵地ながら場内に座布団が飛び交った。」とか、、、、
その後、昭和プロレスファンならば、メキシコはメヒコ、善玉はリンピオ、悪玉はルードと語学学習をするのであった(笑)
メヒコVsハポン、半世紀を越えての因縁、地元日本でメキシコが勝って銅メダル獲得。
いいではないか、これで五分五分、JAPNは五輪ピックよりもワールドカップを目指してほしい
で、プロレスのパンフレットの間にあったJSLの1969年後期プログラムを発掘。
凱旋帰国した釜本選手と杉山選手を観に大阪の長居競技場に参戦時にゲット。
JSLは日本サッカーリーグ(Japan Soccer League)で、1965年から1992年までのサッカーリーグ、昭和~平成4年までのJリーグですね。
三菱重工業(のちの浦和レッドダイヤモンズ)
11番の杉山選手、身長が168cm
1番がキーパーの横山選手、26歳、175cm
東洋工業蹴球部(のちのサンフレッチェ広島F.C)
このチームだけ、蹴球部なのがいいねぇ~
ヤンマーディーゼル(のちのセレッソ大阪)
釜本選手は9番、24歳、179cm
ネルソン吉村やカルロスというブラジルからの選手もいた!
古河電気工業(のちのジェフユナイテッド市原・千葉)
八幡製鉄(現在は解散)
日本鋼管(現在は解散)
名古屋相互銀行(現在は解散、通称:めいそうぎん)。
日立製作所本社(のちの柏レイソル)
本社っていうのが、いいねぇ~
ですが、当時最下位w
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