昨日に引き続き、あいみょんSONGSのトーク編です。
2019年8月7日に「あいみょんを語るおじさんって、鶴瓶の応援ぶりをみて、かなり恥ずかしいことを再認識(笑)」って、書きましたが、、、
大泉洋も語る(笑)
これまでのみょん様の雑誌などの発言を基にトーク。
いちゃいちゃですか(笑)
変換、、、ですか、、
うしろ姿って、背中なのか、、、
うしろ姿をチェックするのは難しい(笑)
おや、太陽をもらっていない、これって、政治的な話かも
さて、ここから本題にはいります(笑)
途中で、大泉洋は「ボイン」という言葉を知ってるかって、仕掛けた、、、、
ネットで調べても「ボイン」は、なかなか出てこない、、、
ウィキでも「現代では死語となっており、巨乳という言葉に取って代わられた。」とか、、、
みょん様は「ボイン」って言うって(笑)
大泉は、誰が発明したのかって、尋ねた、、
ここで、大泉洋は大橋巨泉だと、おじさんの自慢話(笑)
諸説あって、ウィキでの「嘆きのボイン」を引用すると
落語家・漫談家である月亭可朝作詞・作曲の歌笑曲(コミックソング)。1969年12月10日発売。80万枚の大ヒットとなる
月亭可朝のこの曲をして「うれし恥ずかし昭和の日本語」と歌われたボインという言葉の生みの親は、大橋巨泉といわれている。
当時の人気テレビ番組11PMの撮影中、朝丘雪路が水着でプールに飛び込んだ際に、ビキニが取れてしまい、豊かな乳房が丸出しになってしまったのを見た大橋巨泉が「ボイン」と表現したのが始まりといわれる。
ただし、可朝本人は「遊園地のプールで営業していたときに、水着のお姉ちゃん見てたら胸がボインボインとしていてそこからひらめいた」と発言したこともある。
もはや死人に口なしだが、みょん様は1995年3月6日生まれの関西人なので、やはり月亭可朝の歌から知ったはず、、、、
♪ボインは月亭可朝さんが広めたんやで~
って、おじさんはみょん様に付け加えて、言いたい(笑)
なぜならば、♪TOKIOや♪勝手にしやがれ、誰が作ったかというと、糸井重里と阿久悠の名前だけで、歌手沢田研二やパリや映画の噺が出てこないのは不自然であるのと同じようなことを、言いたかったんだよなぁ~♪