介護業界を中心とするビジネス社会にダイバージョナルセラピーの理念を活用したいと思いブログ「十人十色はおもしろい!」作成し,おかげでさまで様々な方に見ていただけています。個性や個人を重視する「ダイバジョナルセラピー」は結果主義の行き過ぎから職場を救う解決策として注目されています。
「大阪ディープカルチャー」は介護の現場や病院等で利用者とのコミュニケーションを図るため,若い職員の方に高齢者が今まで暮らしてきた大阪の「生活文化史」を理解していただくために「十人十色はおもしろい!」内に設けたものです。今まで年代がバラバラであったものを整理して,昭和21年8月の終戦から始めてみました。「大阪検定」にも関心を持っていただき,本ブログを参考にしていただければありがたいです。
昭和20年(1945年)① 進駐軍がやって来た!
戦後の大阪
本当は「占領軍」なのに「進駐軍」という名称をもちいて,アメリカ軍が9月25日に和歌山に上陸したことから,関西の戦後ははじまりました。その後数万人のアメリカ兵が上陸し,堺市の浜寺公園に終結しました。
大阪市内にはいった進駐軍(弟98師団)は「住友本社」を接収して司令部にしました。また,21年7月31日にそごう百貨店はPXというアメリカ軍購買所として接収されました。隣の大丸は空襲で黒こげになっていたため,空襲をまぬがれたそごうが気に入られたようです。また,歌舞伎座が米軍の慰安所つまりキャバレーに変わっていきました。歌舞伎座そのものは現在の場所に移転してきましたが,この場所はその後千日デパート→プランタンなんば(ダイエー系百貨店)→ビックカメラに替っていきました。
昭和20年(1945年)② いなづま通りがメインストリート
70歳以上の高齢者の中で,戦争中のこと話したりや軍歌を歌うことが好きな人がいます。その方が話されているときはいっしょに聞いて,わからないことがあれば質問をしてみることもコミュニケーションのとる方法の一つです。しかし,高齢者全員が戦時中のことや軍歌が好きであることはありません。戦争中や戦後の食料難のことを思い出したくない方の方が多いといえます。この大阪ディープカルチャーが昭和20年の戦争終了後からはじめていく理由も,人間はつらい過去を忘れたいという気持ちがあるからです。
戦争中アメリカやイギリスのことを「鬼畜米英」と呼び,欧米人を鬼や動物並みに非人間的なものと教えられていた日本人は,アメリカ人を見ることも会うことも恐怖でした。しかし,現在のラクのようなトラブルはなく,平穏無事にアメリカ人と接することになりました。特に,アメリカ兵が宿舎を出て街中に行く場合は,チューインガムやチョコレートを日本の子供たちに配り,「アメリカ兵はやさくして親切な人間である」というイメージを広めようとしました。
大阪府内はアメリカ軍第25師団の管理下に置かれ,淀屋橋の日本生命ビルに司令部が設置されました。その他に,淀屋橋の安田ビルが近畿軍政部に,中之島の朝日ビルが「民間検閲班」,となりの新大阪ホテルが上級将校宿舎,ガスビルが宿舎に接収されています。また,御堂筋が「ライトニング・ブルバード」(いなづま通り)と英語名がつけられました。
昭和20年(1945年)③ 闇市(やみいち)
戦争中は食料の配給制度が残っていましたが,少ないながらも配給物資を手に入れることができました。戦争に負けてから政府や市町村の活動が低下したため,食料の配給制度も形だけのものになってしまいました。都市部に生活する住民はその日の食べ物を確保するのがたいへんでした。しかし,お金をもっている人々は「闇市」にいけばほとんどの物品が手に入れることができました。公定価格の何十倍もする価格で売られていたのでした。お金のない人は自分たちが着ている衣服を少しずつ売って現金に替えようとしました。一枚一枚ずつ着物がはがされていくため,このようなことを「たけのこ生活」と呼ばれ流行語にもなりました。
大阪の闇市は昭和20年9月ごろから,復員兵を目当てに大阪駅前にパンやさつまいもを売ることから派生したといわれています。すぐに,鶴橋や阿倍野・天六などのターミナルにも広がりました。中でも,鶴橋は最大の闇市で,500~600人あたりの商人が露天で店を張り,おにぎり・さつまいも・うどん・ホルモン焼き・関東炊き(おでん)・焼酎などの食べ物から衣類などありとあらゆる物が売られていました。
最近のドラマや映画で終戦直後の闇市のシーンを見かけることは少なくなっています。2004年2月に公開されました松竹映画「この世の外へ:クラブ進駐軍」は東京が舞台ですが,終戦後の闇市のシーンが忠実に再現されています。萩原聖人やオダギリジョーが若いジャズ奏者を演じている,朝鮮戦争直後までの時代を描いた青春映画です。現在ではレンタルビデオで借りることができます。介護関係の研修で,若い人たちに当時の世相を知ってもらうため,この映画を教材として使用したことがあります。
「この世の外へ:クラブ進駐軍」
2004年 松竹映画
監督:阪本順治
昭和20年に起こった事件