こんにちは
おりゅうです。
今日はふと考えたことを
書いてみようと思います。
よく耳にする
「明日死ぬとしたら何をするのか」
これを聞いた時に出来ることというのは
限られるし、
極論を言えば
「死ぬ場所を考える」
にもなる
視覚や聴覚、嗅覚も使えるし
したいことがある程度できる
今の感情論で言えば
「綺麗な海を見た後に家族と過ごす」
また、
「1年後死ぬとしたら何をするのか」
であった場合、
やらないことを選択し
限定を私は探すだろう
例えば
「春は地元の桜をみて、夏は沖縄の海をみて、秋は京都の紅葉をみて、冬は北海道の雪を感じる」
になる。
もちろん海外にも興味がある
しかしこれは
最低限こうしたいという願望
欲を言えば
「誰と同じ時間を共有するか」
である。
ここまでは
今という目に見えているものが変わらない前提
そこでタイトルの
「もし明日が昨日までと違う世界なら何をするのか」
なかなか想像しにくい
どんなものを想像するのかで変わってくる
コンクリートジャングルからジャングルに変わったら
街並みSFの様なものに変わったら
何もない砂漠のように変わったら
いくらでも
「違う世界」
は考えられる
上記の様な世界はこないかもしれない
ただ、
【突然当たり前がなくなる可能性はある】
【突然大切な人を喪う可能性はある】
【突然思いもしなかった事が起こる可能性はある】
これは起こりうる
いつ起きるかわからない
今日何が起きるかで
感情や思考が変わる
そうすることで
同じものを見ているけれども
「違う世界」
になりうる
明日なんて誰にもわからない
どうなるかなんて誰にもわからない
けれども想像はできる
考えることはできる
そして明日も変えることができる
今までの生き方
毎日の生活の一部を変えるだけで
少しずつ自分の未来が変わり始める
では
【今日という1日に何をし、何を考えるのか】
自分の使命は
死んだ後にしかわからない
誰が周りにいて
それをどう感じたか
だから自分にはわからないこと
だけれども
その誰かのための
「一瞬」が
今日であるということ