今日の透析ちゃん 6 | orizarot

今日の透析ちゃん 6

そして3時間の透析が終わった。
機械内部に残った血液を身体に返して、針を抜く。
抜く時はそれほど痛くなかったけど、脚の方は動脈なので止血に時間がかかる。

先生が脱脂綿ごと強く押さえる。

男性器の横を、働き盛りの男が押さえるのだ!
もう、いやあああああ。
再び車椅子に乗せられて、ひとまず待合室へ。両親と再会する。
「なんか、針でやるかカテーテルでやるか選べって言われた」
そう言ったところで、なにかオレが落ち着くような言葉が返ってくるわけもない。
戸惑っているのは両親も同じだ。
アラレちゃんによく似た看護婦さんが、病室へと案内してくれた。

オレの病室は7階。6人部屋だった。
通されたベッドの頭の部分の鉄柵に、

『水分1日700ml』、『左腕血圧測定採血禁』、『食事禁』という札が下がっている。
食事禁止はまあいい。どうせ食欲なんてない。

メシを美味いと思えたのはいつだったかな。
もうメシの味なんて忘れた。
水分700ml。

多いのか少ないのか分からないけど、多分少ないんだろう。

オレは飲むのが普段からすごく好きだったけど、それも管理されちゃうんだな。
しかし、なんで左腕はダメなんだろう???

病室で、一通り今後の流れについて説明を受けた。
腎不全について、急性か慢性かを調べる。

慢性であれば人工透析に向けての準備を行い、急性であれば生検で調べる。
この生検ってのはお腹に針を刺して腎臓の組織を採取し、調べるというものだ。
どっちにしろオレはまだまだ針を刺されなければならない。
こんなに痛みの束縛を受けるのは生まれて初めてだ。
とりあえずトイレに行きたくて、立ち上がる。
看護婦さんが黄色い声で制止した。
「ダメダメ!ダメです!歩かないで!」
車椅子に乗せられてトイレへ。

今後トイレに行く時はいちいち看護婦さんに連れていってもらわなアカンのか?
「これからは尿をこちらのカップに取ってください。

その後こちらのバッグに溜めてくださいね。1日の尿量を計ります」
促されるままに尿を計量カップに取って、その後大きめのビニールバッグに入れる。
じゃあああ…という音がなんか物悲しい。

病室に戻って、両親と打ち合わせる。
着替えとかテレビカード(部屋のテレビを見るプリペイドカード)を買ってくれとか、

サンダルがあった方がいいとか。

でも、そんなこたー正直どうでもいい。
なにがあったところで、これからの一ヶ月の入院が明るいものになるとは到底思えない。
「あの、携帯で電話はもちろんダメなんでしょうけど、メールはどうですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「メールはいいですよ。電話は指定の場所でお願いしますね」
あら、意外にもオッケーなんだ!
助かった。
これで、恋人と自由に電話はできなくても、メールは出来るじゃないか。
メールできるのとできないのとでは、気持ち的にだいぶ違う。
ああ、そういえば今日はまだ一回も連絡してなかった…
どっちにしても連絡をしないわけにはいかないけど、果たしてどう言ったものか。

両親が帰った後で、身上書的なものを書かされた。
自分の性格とか普段の生活パターンとかそういうの。
一人でただ寝てても気持ちがまとまらないままなので、

ちょっと真面目に書こうと試みる。
書き進むと、「今回の病気についてどう思いますか」という質問。
オレはこう書いた。
『大きな病気のようなので正直驚きましたし、困惑しています。

でも、頑張って治していきたいです。よろしくお願いします』
オレなりに真摯な言葉で、気持ちを素直に書いたつもりだ。

でも、違うんだ。

これは決して、前向きな言葉なんかではなかった。

オレはただ、明るい未来が欲しかった。
とにかく急性であってほしい。それだけでいいんだ。
そういう、可能性を『想定』した文章に過ぎない。

オレは強くなどない。
虫歯になったあとで、「痛くなくなりますように、これからお手伝いなんでもします」

とか何とか泣いてるガキと同じだ。

書き終わった用紙を置いて、買ってきてもらったミネラルウォーターを一口飲み、

水分量記入用紙に「水/一口」と書き入れる。
こんなメンドいことをこれから毎日やるんか…。
オレは自分のベッドの周りのカーテンを閉め切って、途方に暮れた。
カーテンの向こうでは、同室の人だったり看護婦だったりが歩く音だけが聞こえる。
ここには何もない。
寝る前に体重を計ったんだけど、通常体重より10キロ落ちていた。
10キロって。すげえな。
それとオレ、身長170無かった笑

ベッドの天井を見ながら、オレはあることを思い出し、驚愕した。
「オレ、血液検査やってたわ…」
それは去年の春先のこと。オレは帯状疱疹を患ってしまった。
この時痛みがなかなか引かなかったので、

皮膚科を紹介してもらったのだがそこで、
「帯状疱疹やって検査はしましたか?」
「検査?」
「帯状疱疹っていうのは、どこか他に異常があって身体が弱まったことで

発症することが多い病気です。ですから検査をした方がいいです」
先生がちょっと冗談の通じなさそうな人だったこともあって笑、

オレは言われるがままに血液検査をした。

でも結果を聞きに行かなかったんだ。

もしその時、ちゃんと検査結果を聞いていたら、

この事が分かっていたのかもしれない。
オレはひどい自己嫌悪に襲われた。
ああ、チャンスはあったのに…!
とにかくこの話を明日先生に伝えなければ。

その結果次第で、状況は大きく動くかもしれない。


午後6時。
恋人からメール。
「入院したんだって!?大変だったね!」
母が電話してくれたらしい。もう状況は一応伝わっているようだ。

ヘンなウソをつく必要はないな。つーかウソのつきようが無いけど。
彼女のメールが意外に明るかったのが救われた。
ロビーまで車椅子で押してもらい、そこで電話をかける。
「もしかしたら、あいつは泣いてしまうかもしれない。気をつけて話さないとな」
でも、電話の向こうの彼女の声はいつものように明るかった。
『入院だってよーなんか困っちゃうよなー』
そういう雰囲気で話させてくれた。

結局オレの方が、彼女に気持ちを助けられた。
人工透析という言葉は使わず、

腎臓が少し疲れているので血をキレイにする治療をしてもらった、とだけ告げた。
「明日お見舞いにいくよ!欲しいものなにかある?」
いろいろと欲しいものを伝えて、そのたびにお互い笑い合った。
ああ、今日オレ初めて笑ったな。
今日、というか久しぶりに笑った気がするんだ。


「こんなトコで負けてられない。そうだよ、だってもしあの時の疱疹が兆しだったとして、あれからまだ数ヶ月しか経ってないんだから、

だったらオレ急性かもしれないじゃん!
そうだよ、検査するまでもなく、急性だって判明するかもしれない!そうだ!」
オレは急にテンションが上がった。
いける。きっと大丈夫だ。


オレと恋人は、2月から一緒に暮らすことを計画していた。
そしてこのタイミングで入院。
最初はなんてバッドタイミングだと思ったけど、いや、そうではない。
これは「急性」であるという前触れに違いないんだ。
オレの人生は振り返ればずっとそんな感じだった。
絶対今回だって絶妙のタイミングで治って退院するんだ!ひゃほう!
ありがとう恋人、お前がいればオレはきっと、これを乗り越えられるだろう。

明日の彼女の面会を楽しみに、今日は寝ることにしよう。

消灯は9時。
別に9時に寝る必要はなくて、テレビを見ていてもいい。

単に電気が消えるという意味だ。
オレはそれまで漫画家らしく3時ごろに寝ていた。
9時に寝るつもりは最初っから無いけど、

こんな入院先のベッドで果たして無事に眠れるんだろうか。




眠れませんでした。


いや、マジで朝まで一睡も出来なかった。
隣のいびきがうるせーし、それになによりカテーテルだ。
明日はそれを入れるんだ。
入れるって決めたはいいけどやっぱり気になるんだ。

朝は6時起床。
6時って笑
いやマジにねーよ。
絶好調に眠い中、起きて時間を潰す。
眠いし疲れてるけど、頭はいよいよカテーテルで一杯。
一体どういうことをされるんだろう。
痛いのかな…まあ痛くないってことはないな。

そして透析の時刻が訪れる。
オレは昨日のように車椅子に乗せられて、透析ルームへと連れていかれた。
「これを頑張れば、彼女に会える。

頑張るんだ、どうせ刺すのに1時間もかかるわけじゃない。
頑張ろう…!」

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つづく