下関なので、今までで三度会った


花火大会で見かけた

選挙の時に、踏み切りですれ違った

去年9月会社に来た


去年は顔写真の入った名刺を手渡しされ、

写真もとってもらった

短い時間のぎゅっと流れるような挨拶は、

任期中のお礼と総裁選挙のこと、コロナの治療薬のこと、

別に好きでも嫌いでもなかったけど

正直引き込まれた

きっと何百万人の中の一人の私達だったけど、もはや他人ではなかった


ほんの30㎝先にいた人がテレビの中で倒れてる人と同じだと思えなかった

この時代に撃たれるって、意味がわからなかった

あの時に戻れるならと本気で思った


あとで知ったこと

あの事件の何日か前に応援で下関に来てたこと

見覚えのある車、そういえば…ワタシの前に走ってた。あぁ、あんなに近くにいた


悔しいやら、悲しいやら

未だやるせない気持ち

冥福なんて祈れない

あれは私が小学一年の可愛かったころ

一人での帰り道、男の声で呼ばれた

「そこの人」

振り返る私

そこには家の窓から顔を枕で隠して

下半身丸出しの男

怖くて走って帰った

真面目な私は通学路を変えることもできず

親にも言えず

友達には信じてもらえず

それから走って通った

でも、それでも何度か同じ目にあった

近所で、たぶんそこは母の知り合いの家だと何度目かに子供心に認識していた

今思えば、犯罪だよね

何かの拍子にあれから40年近く経つけどふと思い出す

白い枕カバーの掛かった枕と、膨らんだ腹と、出べそと、得たいの知れない下半身

あの男、今どう思ってるんだろう

記憶を切り刻んでしまいたい


先日愛すべき恩師の七回忌だった
お墓参りも遠くて行けないし、
七回忌どころか未だふと、元気かな…と思ってしまう
それでも亡くなったときは、
悔しいような、悲しいような、腹立たしいような、なんとも言えない気持ちがグルグルグルグル
ふと泣きたくなるような

あるとき、先生は夢に出てきて
いつもの笑顔でにっこり笑って私の名前をよんでこう言った
いいんだよ、これで良かったんだよ
笑ってた

私が勝手に悔やんではいけないんだ、そう思った
先生は思うように生きた
羨ましいほどに
諦めず、何かを悟ったように
こちらが拍子抜けするほどに

先生元気かな