平和な事は良いことだ。

仕事は少なく、給料は多いに越した事はない。


今この瞬間にも誰かが死んで、誰かが悲しんでいる。

それはわかるが、情報に現実感がないので、こうしてPCの前で、つらつら文字を眺めている。


今日のお仕事は、老舗の和菓子屋の奥さん(おばあちゃん)。

戦前・戦中・戦後とお店の切り盛りは大変だった事だろう。


彼女をお迎えに行く途中、車の窓の外からイマジンが聞こえた。

最近、クレーム対応もしたが、「人が自分以外の誰かに、どうしてこれほど強い悪意が持てるのだろう」と思う。


和菓子屋のおばあちゃんも、生きてる間の約80年間、誰かの悪意に心を痛めた事があるはずだ。

日本人でも約80年生きてれば、生きてる間、どこかでイマジンを聞いた事があるだろう。

イマジンの歌詞の意味はわからかったとは思うけれども、同じような平和は願ってたと思う。


もう喋られない彼女から、俺はそんな想像をしていた。

 

悲しいかな、GW中は毎日が仕事。

いつだって人は亡くなるから死神に休息はない。


今日のお仕事は建設会社の社長さん。まだ、60代。

生前に多くの人に慕われ、俺自身のお世話になった人だった。

正直、知人の仕事は嫌いだ。

どうしても情が入るし、仕事に安定感がなくなる。

そして、どうやっても自分が本質的な家族の悲しみを理解しきれないという事を思い知らされる。


いくら世話になったと言っても、俺だって悲しくても、社長は俺の父親じゃないし、おじさんでもない。家族の抱える悲しみや虚無は、完全にはわからない。

疎外感に悩まされ、毎度、その中で出来うる仕事をしてはいるが、いくら頑張っても達成感も、まして満足感もない。


理屈上、俺は俺である限り、仕事でもプライベートでも誰の垣根を越えられず、きっと本質をわからないまま、死神に迎えられるのだと思う。


東北の地震の後(アト)というべきか、痕(アト)と言うべきか・・・。


ついに震災関連の仕事の依頼が・・・。

東北から離れた広島の地で、万が一の可能性もあるとは思っていたものの、実際を目の当たりにすると、正直怖かった。

目に見える損傷が少なかったのは幸いだろうと思う。


それに加えて、うちの会社から数名が震災の後処理の為、東北に派遣される事が会議で決まった。

助けないといけないのは生きている被災者の人たちだけじゃない。死んだ人だって助けてあげないと。


今回の震災は同じ日本に起きた事だから、みんな関心があるのだと思う。

誰かが困っているのだから助け合う事も、もちろん大事だと思う。

今回の地震は、助け合う気持ちを気付かせてくれたキッカケになってくれたのかもしれないと思う。

残念だが、誰もが大切な誰かを失わないと気付かないものだと思う。


だからこそ地震だけでなく、世界で紛争や飢餓で苦しんでいる人や命を失った人の事も考えないといけないと思う。

今、俺がパソコンに向かっているこの瞬間も世界のどこかの紛争や飢餓で、誰かが死んでるんだから。