3月11日が過ぎました。

各地での鎮魂の様子や当時のエピソードなど、胸が痛くなるものが多く、今日一日は何となく心ざわめき落ち着かない気持ちで過ごしました。

でも希望を抱いた声や様子も知れて
「そうだよね、後ろばかり見ていちゃダメだよね」って、新たに思うこともできました。

ちょっと前までは、あの荒れ果てた家や帰町するひとが少ないだろう富岡町に、帰ろうなんてちっとも思ってなかったし、故郷愛も希薄になっていたように思っていた。

でも、2月27日と3月8日に富岡町に戻って、あちこちで解体され更地になった町中、まだ未完成ながらも様変わりしてしまった富岡町駅前を見て、復興作業が進んでいるから良いことなはずなのに、知らない町になってしまったような寂しさと悲しみを覚え、ああ、こんなに富岡町を懐かしんでいたんだなって、自分で自覚していなかった気持ちを知りました。

さくらモールと名前を変えた 旧 Tom 。
中身が変わったけど昔なままの 旧 エネルギー館。
とても懐かしかった。

橋の上から見た海は昔と同じく大きな海鳴りを響かせ、橋の反対側から下を覗くと とても澄んだ水面の富岡川があり、そこから見る西の山々は変わりなく深い緑で...ああ、富岡町だなって感慨深くなりました。


残念ながら、わが家は取り壊すしかないくらい傷んでいて解体の順番を待っています。

でもできたらそこに平屋の小さな家を建てて住めたらいいなとか思うようになりました。

実現できるかどうかわかりませんが、6年の月日はそんなことを考えられるようにもなった月日なんですね。

富岡町に住むということに関しては

私的には、放射能問題は大して重要には考えていないのです。
問題はどれだけの人が戻ってくるのか、前と同じような生活ができるのだろうか、ってことが重要だと思うのです。

若い世代が戻らなければ町の復興は難しいと思うのです。

お隣の楢葉町で、役場職員は町に戻って来なさい...でないと昇給とか役職が上がることはないよってことのニュースが話題になりましたが、双方の気持ちがよくわかります。

町職員が他市町に住んでいて町民に帰還を求めても説得力に欠ける、でも6年の月日はその地での生活基盤をしっかりしたものにしてしまい離れ難くなってしまったから簡単には帰還できない...

これから富岡町も抱える問題になると思います。6年とはそれだけ長い月日になってしまったんです。

自主避難している人の住居への支援がなくなることも問題になっています。

これも気持ちはよくわかるのです。

戻りたいけどその地での生活に馴染んでしまい、学校問題とかで帰還できない家族。

まだ放射能汚染の安全性に疑問を持ち、生活するのに不安で帰還できない家族。

でもそれはもう避難ではなく、お引越し扱いになるんじゃないのかな?と、思ってしまう私です。こんなことを書くと怒られそうですが。

不安は理解できるのです。私も不安がありましたから。そして今後の安全性に絶対という確かな保障は誰もすることはできないと思うから。

でもどうしても住めなかった所以外では、普通に生活していた皆さんがいたのですから、それでも自主的に安全を求めて住む場所を探して行かれたなら、これからはもう自分の責任となっても仕方ないのではないでしょうか?
ずっとその地で生活してきた方々は住居の援助とか受けていないのだし。

こういう線引きって本当に難しい。繊細で微妙な問題を含んでいるから。

一つ一つ、あらゆる問題を解決して行っての復興になるわけです。
その道のりの厳しさを想像すると不安が先行しますが、この先、故郷が過疎の町にならないことを、帰還した人たちががっかりして後悔するようなことのない町になっていくことをただ願うばかりです。

遠く離れたところに住んでいても、いつまでも私は富岡町民だと思っているし、富岡町は故郷なのは変わらないから。

2011年の桜は会津若松市で見ました。
2012年から2014年の桜は東京で見ました。
2015年、2016年の桜は今の住まいで見ました。

そして今年、2017年は
故郷 富岡町の桜を見に行こうと思っています。


2017年 4月1日  富岡町は一部を除いて避難解除。

だからリブログしながら振り返ってみたけど、もういつまでも振り返るのはやめよう。
だからテーマに 【福島県富岡町】を追加してみた。

そして
被災者って自分を思うのもやめよう。

7年目は新しい故郷の発展を願いながら、前を見て生きていきたい。



おまけのリンク


ツイッターで知った富岡町の6年の動画。
なんか涙が出たけど頑張ろって思えた。

富岡町公式チャンネル より



娘の宣伝みたいになるけれど、6分25秒後あたりから見てもらえたら...


TUF Nスタふくしま より




またまた娘の宣伝みたいになりますが、自費制作のCDなので口コミででも広がったら嬉しいから。


Presented By  Ayai Factory 




毎年 3.11 になる前から 被災各地に取材が入り報道される。

いつか誰も見向きもしない時がくるのかな?

その時には見事に復興を成し遂げていたらいいな。
忘れられてじゃなくて。

思い出したくないことはたくさんあると思うけど、一年に一日くらい、被害がなかった方も思い出してくれたらいいな。