長々と、私の転職話を書いてきました。結論めいたことを一言であらわすと

「教員になったら他の業界には行きにくいぞ!」

まあ、どの業界でもそうなのかもしれません。業界を移ることはかなり大変なことなのでしょう。幸い、私の場合は「近いけれども別の業界」に行くことができました。そこでの働き方によっては、全く別の仕事に就く可能性もゼロではありません。1年後とか、「経理課 origi-stan」なんて名刺を持っているかもしれません。

 ひとつの仕事に就いたら、少なくとも10年はそこで我慢すべきである。
おそらく私の父親の世代以上には「常識」とされた価値観です。
でも、今はどうなのでしょう。真実のようで、真実ではないように思います。
私の場合ももう5年早く動いていたらもっと楽に業界を移れたでしょう。

 教員として働いていたことを、後悔はしていません。
昨日は最後に担当した子たちの卒業式がありました。
電報を打ちました。
担任の先生から電話をもらい、子供たちが感激していた、との報告をもらいました。
嬉しかった。
おそらくこれは、教員でなければ味わえない感覚です。

しかし一方で、息子が将来「教員になりたい」と言ったら。
たぶん、一度は止めるでしょう。
その頃にはどうなっているかわかりませんからなんともいえませんが、それでも「学校」という場所は労働環境としては……と思ってしまいます。

「どちらの道を選んでも後悔する。ならば、面白い方を選べばいい」。

この1年を振り返って、やはりこの言葉が胸にしみてきます。
もと勤務先がダメな例の一つです。

一昨年度、部活動で「珠算部」を作ろう、という声が、理事会から上がりました。
そもそもクラブを作ろうと思ったら、本校の手続き上は、生徒会が教員の助言を受けて「生徒総会」を開かなければなりません。けれども、理事長、校長は「トップの判断だ」と押し切りました。
まずこの時点で問題です。

が、まだいいんです、珠算部ができても。
その代わりにといっては何ですが、地味ながら伝統のある茶道部が廃部にされました。部活も多くなったので統廃合する必要がある、しかしどこも人気の部だ、だからここ数年入部者が減っている茶道部しかないだろうという理由です。確かに入部者が減っているのは事実ですが、私が最後に顧問をした鉄道研究部のほうが部員も入部者も少ないんですよねー……。当然先生方からも「なぜ茶道部?」という声があがりました。予算もそれほどかからないし、伝統もあるし、それでも一定の人数を確保していたし。考えられるとすれば、校長にかなり嫌われている堤(仮名)先生が顧問をしていた、ということでしょうか。

でも、いいんです。堤(仮名)先生も昨年度いっぱいで退職。最後の1年間は廃部になったあとの処理をするための時間だと、ご本人は口にされていました。

そういえば、そもそもなぜ「珠算部」かといえば、理事からこんな発言があったのです。

「私の経営する珠算教室には小学生4~6年生が100人ほどいる。小学生からの珠算の需要は高い」
「珠算をしている子は算数の能力も高い」
「だから珠算部を作れば、算数の能力が高い子がいっぱい入るに違いない!」
「私の教室からも入学を勧めるから大船に乗ったつもりで創部してほしい!」

この理屈を聞いて、多くの先生方が唖然としました。そして「違うだろ」と口にしていました。そんな中でも数学科の高野(仮名)先生は様々なデータをあげて、「珠算教室や習字教室に営業をかけたことがあるが、そこの先生が意気投合してくれても受験生は増えなかった」「入学者に占める珠算経験者はかなり低い、部活動ができても在校生からの入部は見込めないのではないか」「珠算経験者は算数の能力は一見高いが、実際はそうとも限らない」と指摘していました。が、逆に高野(仮名)先生の立場を悪くするだけでした。

そして昨年度、珠算部創立の準備が行われました。あほくさいとおもいながらも、私も昨年度その旨新聞広告を打ちました。在校生へも告知し、部員を募りました。学校として、専用の部室を作るために部室棟を増築しました(もっとも、部室棟が古かったので改築する時期ではありましたが、茶道部はこの部室棟には入っていなかったはず)。そろばんも100本買いました。そろばんを指導できる講師の手配もしました。そして、初代顧問は、「茶道部をつぶしてまで珠算部を作る意味がわからない」と言ってはばからなかった数学科の高野(仮名)先生に決まりました。

高野(仮名)先生は、はらわたが煮えくりかえる思いで、しかしやるからにはと部員を精力的に募集しました。私にはそこまではできない、と思えるくらいの行動でした。

しかし今年度が明け、実際に部の活動が始まってみると……入部したのは中1が1名のみ。しかも、理事の運営する珠算教室からの入部者はゼロでした。それどころか、その教室からの入学者もゼロでした。

その結果、珠算部は今年度いっぱいで廃部になることが決まりました。講師の先生は1年契約だったので、年度末で契約打ち切り。顧問だった高野(仮名)先生は「部員を集められなかった」ととがめられ、俸給が下げられ、ボーナスは一部返上させられ、「部活動の運営能力がない」と採用3年目の先生を「部活動の運営」の指導教官につけられて毎月の研修レポートが課せられることになりました。夏のことでした。

さすが高野(仮名)先生、それでも感情を抑えて、レポートに「珠算部が失敗した理由」をまとめました。見せてもらいましたが、立派なものです。市内での珠算の需要と私立中学への進学率、本校入学者の聞き取り調査などをもとに書いた、これだけで外部にも出せるレベルのレポートです。

ところがこのタイトルを見て理事長、こうおっしゃったそうです。

「だからキミはダメなんだ。なぜ言い訳をする? キミの頑張りが足りなかっただけじゃないか」

一方の、珠算部を提案した理事は何事もなかったかのように毎月の理事会に参加しています。おそらく、何のおとがめもないでしょう。だって理事長は雑談の中でこんなことを言っていましたから。

「せっかくいい提案をしてもらったのにつぶしてしまって……だから教員はダメなんだよなあ。民間の感覚ってものをわかっていない。」

理事の珠算教室からの入学者がいなかったことは、おそらく不問にされたのでしょう。きっと「たまたまそういう年もある」くらいの理由をつけて。入試広報の関係者が生徒を集められないときには絶対に認められない理由です。「そのためにお前らの仕事があるんだろう」なんて言われます。

結局高野(仮名)先生は、今年度いっぱいで退職することになりました。年末に報告を受けたときに彼の声は晴れ晴れしていました。退職まであと1ヶ月ほどとなった今は、きっと、どうやって有給を使おうかにこにこしながら考えていることでしょう。

もったいないなあ……。彼は、もと勤務先の中では数少ない、数学Ⅲと理系の受験指導ができる教員だったのに。というのも、私立の「中堅以下」の学校だと理系を選択する生徒が少なく、数学Ⅲまでの指導経験を持つ教員が数名ということも少なくないのです。もと勤務先の場合、常勤以上の教員だと高野(仮名)先生を含めて12人中5名ほど。うち、40代以下は彼含めて2名です。「学歴」だって彼が一番高く、教え方も上手で、将来を嘱望されていた教員でした。

しかし彼がやめると決断をしたとき、校長も理事長も形ばかりの慰留はしましたが、最終的にはあっさりと退職を認めたそうです。さらには、非常勤講師で本校に来ていた彼の恩師も年度末で契約打ち切りになりました。生徒からの人望も厚く数学の力もあったのに「余剰人員だから」という理由だそうです。おいおい、高野(仮名)君がいなくなったら、恩師の先生に数学Ⅲを見てもらわなきゃ誰が担当するんだ。この先生、公立校で勤務されていたときにも本校に来てからも、「東大」「京大」に合格する生徒を何人も出してきた実力者。その先生を追い出すなんて……。

 高野(仮名)先生、やはり実力のある人です。
理事長は「彼には民間の感覚がない」とおっしゃっていましたが、そんな彼は「民間企業」に転職することが決まっています。転職先は、某大手教材会社。やっていることは私の今の勤務先と似ていても、事業規模は全然違います。高野(仮名)先生曰く「一応教務ということみたいだけど、正式決定は入社直前らしいです。営業とか広報になる可能性もゼロじゃないみたいですね」。

私の子供が小学校6年生になったとき。もと勤務先はどうなっているんでしょう。子供が「お父さん、あの学校に入りたい」と言われる学校になっているのでしょうか。それとも、「特待生で特別待遇でもあの学校には行きたくない」と言われる学校になっているのでしょうか。私は、前者になるようには思えません。
 ふぅむ、新しい職場もなかなか忙しく、前回更新からやっぱりまた時間が経ってしまいました。気を取り直して続きをば。

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 このブログは、「事実を元に構成したフィクション」です。登場人物の多くには実在のモデルがいますし、一つひとつの出来事にもモデルとなった出来事があります。いろいろとフェイク入れているものの、見る人が見れば気づくでしょう。

 その「フェイク」の部分との整合性がとれなくなっているところもあるかもしれませんが、いま、「元勤務先」に思うことを書かせてください(もちろん、ここにも多少のフェイクは入れています)。教員、あるいは教員志望の方は是非、他山の石としていただければと思います。

 もと勤務先には当然、不満はたくさんあります。ポジティブな理由ばかり口にしてきましたが、当然、当然、不満はあります。こんなことを書くのは不毛ですが、それでも、もしかしたらどこかでこれを見た人が「気をつけなきゃ」と思ってくれたのであれば救いになると思い、書きます。

さて。

いろいろとある不満の中で一番強いのは、どれだけ教員を犠牲にしても、生徒のために動いてほしい、ということ。「経営判断」があっても、それでも、犠牲にするのは教員であって生徒であってはならない、ということ。

よく言えば本校の経営陣(理事長、校長、事務長)は「辣腕」です。リストラを乗り越え、それなりに生徒を入学させ、傍目には「頑張っている学校」という印象を与えています。でも、本当でしょうか。

それならば、制服や体育衣料のリベートをナシにして価格を下げたらどうですか。
それならば、購買や学食の業者からのリベートを廃止したらどうですか。
それならば、修学旅行の積立金の余剰部分は返金したらどうですか。
それならば、役員報酬や管理職手当を減額したらどうですか。教員の給与は下がったままなんだから。
それならば、本校の中学から高校に上がる生徒から「入学金」を取るのはやめませんか。

どうしても私学は金がかかります。私が初任のころ、私学の研修で言われたことがあります。

「保護者からは公立の倍以上の授業料を取り、補助金は公立の半分以下。でも保護者の期待は公立の倍以上。つまり私学の教員は公立の教員の8倍以上働かなければならない」

ですから、少しでも「金」を集めるのは確かに大事です。ちりも積もれば、なんて言葉もありますから、上記のそれぞれが本校のプラスになっているのは事実です。私の給与はそこから出ていますから、私もこうした施策の恩恵を受けてきました。そういう意味では私も「同罪」です。でも、青臭いかもしれないけれども、納得いかないんだなあ。生徒の立場に立っているようには見えない。

この発想に染まるのであれば「教員」である必要はない。そう思ったのも、転職の遠因かもしれません。

一方で、もと勤務先は「教員も大事にしていない」。教員も大事にできない学校が、生徒を大事にできるわけがありません。

もし「教員を大事にしてる」と強弁するのであれば、
非常勤講師をどんどんクビにするのはやめませんか。
特に若い子は非常勤講師でなく専任講師で採用したらどうですか。
「同窓生だから雇用してやってるんだ」なんてパワハラ発言はやめませんか。
告げ口する教員ばかり優遇するのはやめませんか。
告げ口した内容は主観が入りすぎていると諭す教員に懲罰的な扱いをするのはやめませんか。
その忠告を聞かずに失敗したのに、忠告した人間が罰を受けるのは違いませんか。
自分の思いが通らなかったからと人格否定するのはやめませんか。
都合の悪いことを忘れる(忘れたふりする)のはやめませんか。
忘れたふりをするだけでなく、記憶を捏造するのはやめませんか。
プロに依頼しても断られる量の仕事を相場の半分でやれというのはやめませんか。
そのことを無理だと正直に申告したら「やる気がない」と評価するのはやめませんか。
気にくわないからと必要な出張の許可を出発前日に取り消すのはやめませんか。

インサイダーである教員を大事にしていないのだから、当然同窓会を大事にするはずがありません。

大事にしているのであれば、
せめて年に1回は同窓会誌を発行するための補助金を出してあげてください。
新しい設備を作るなど金が必要なときだけ連絡するのはやめてください。
同窓会や教職員の9割以上の大反対を聞かずに校名を変更するなんて暴挙はやめてください。
同窓会や教職員の9割以上の大反対を聞かずに校歌を変更するなんて暴挙はやめてください。
同窓会や教職員の9割以上の大反対を聞かずに校訓を変更するなんて暴挙はやめてください。
同窓会や教職員の9割以上の大反対を聞かずに制服を変更するなんて暴挙はやめてください。
「同窓会は単なる外部団体なんだから言うことを聞く必要がない」なんて言わないでください。
その一方で理事長のお仲間軍団の言うことを「有識者の意見」と聞くのはやめてください。
さらにほぼ全教職員がその「有識者の意見」に反対なのに押し切るのはやめてください。
その結果が大失敗だったのに「教員のやる気がなかった」と総括するのはやめてください。

人を大事にしない組織ですので、先があるようには思えません。
次回、具体的な話をひとつ、書きます。
 退職は12月31日付けですが、実際には冬休みに入りますので、最終出勤日は終業式の日ということになります。入試広報室的には、冬休みに1度だけ入試相談会を行いますが、それは今年は免除してもらいました。先にも書いたとおり、担当しているクラスの子は「もう数学が必要ない」ので、冬期休業中の講習会も行いません。

 終業式の日の朝。家を、いつもより少しだけ早い時間に出ました。車を使わず、公共交通機関で職場に向かいます。そうだ、入ったばかりの頃は、駐車場がもらえず、こうして歩いて通ったんだよなあ。

バス停から正門に向かいます。
朝日にきらめく校舎が、いつもとちょっと違って見えた気がします。
ああそうだ、ここに初めて来た日も、こうして校舎を見上げたんだっけ。

……。
…。

終業式が始まりました。教頭に手招きされます。

「これが終わったら、臨時の離任式やるから。」

校長の話が終わり、いつもならば「これで終業式を終わります」となります。が、司会の先生があとを続けます。

「突然ですが、臨時の離任式を行います。」

ざわっ……ざわっ……。
生徒からざわめきが起きます。
origi-stanが舞台に上がります。
ざわめきが大きくなります。

「origi-stan先生ですが、諸事情で本校を離れられることとなりました。ご挨拶をいただきます。

そういえば入ったばかりのときも、着任式として生徒の前でこうして挨拶をしたんだっけ。

みなさん。おはようございます。
今年は授業も少なく、あまりみなさんと関われませんでした。
それにもかかわらず、こうして、皆さんとお別れをすることになり、さみしいなと思っています。

なんだかんだ言いながらも教員として働いてきたのですから、やはり、寂しいというのはホンネです。

……私もそれなりに長い間、学園にお世話になってきました。
私の母校ではありませんが、「第2の母校」と思っています。

そんな「母校」が、これからますます良くなっていってほしい。切なる願いです。
ですから皆さんにお願いです。
盛り上げていってください。誇りを持って、大事にしていってください。
皆さん一人ひとりが意識しないとできないことです。
そして私がどこかで皆さんとお会いする機会があれば。
そのときには「すごい学校になったな!」と言わせてください。
楽しみにしています。
ありがとう。また、会いましょう。

拍手をもらいました。生徒への挨拶は、終わりです。

 昼休み。昼食は、学校の向かいにあるそば屋の天丼です。これがうまいんだ。
思えばこれも、私のこの学校での「記憶」のひとつです。
この味をそうそう食べられなくなるのだな。かみしめました。

 割と仲の良かった生徒や、最後に担任した生徒が挨拶に来ます。
ちょっと涙目の子もいました。教員冥利につきるな、と思いました。

 教科の先生から記念品と花束をもらいました。忙しい時期に申し訳ない。

 そして5時。入試広報室のスタッフからも、花束をもらいました。ただ、気を利かせて真理(仮名)ちゃんが言ってくれます。

「荷物、全部お預かりします。明日ご自宅にお届けしますよ」

ありがとう。そう、今日はこのあと忘年会なのです。真理(仮名)ちゃんの気遣いに感謝です。

 忘年会会場にて。3ヶ月早い、送別会も兼ねた感じになりました。最後まで暖かく送り出してくれてありがとうございます。言葉としては、それしかありません。

 そして忘年会も終わりました。2次会の誘いは、断りました。
いや、無理してるのがわかるんだもん。ほとんどの先生方が翌日から部活か講習会があり、2次会をしている余裕などないのです。文面だけ見ると失礼なような感じもしますが、これはお互いにとってベストな判断。その証拠に、この先生方は、後日プライベートで飲み会を設定してくれました。

 帰り道。ちょっと遠回りして、学校の前までもう一度戻ります。
夜の校舎を見上げます。
時計を見ると、9時半。
これくらいの時間まで残って仕事とか、よくしていたよな。
明日から、ここに通うこともないのか。
いろいろあったけれども、間違いなく今の自分を作ったのはここだったな。
ありがとう。お世話になりました。そして、さようなら。

一礼し、きびすを返し、バス停に向かいます。終バスの時間ぎりぎりでした。
 12月上旬の職員会議。会議室に入ろうとしたとき、校長に肩をつつかれました。はい?

「……(小声で)今日の会議の最後で、おまえのこと発表するからな。」

こくんとうなずきました。

 職員会議の議題がすべて終わり、最後に校長から。成績処理のこととか、次年度の行事計画のこととか、必要な業務連絡と校長の考えを話します。そして……。

「最後です。知っている人もいるかもしれませんが、origi-stan先生が、12月いっぱいで退職されることになりました。終業式のあとに臨時で離任式を行いますので、生徒には内密にお願いします。」

ざわっ、ざわっ。

 会議が終わり、多くの先生から声をかけられます。
なぜ。これからどうするの。そうした質問ですが、ぼかして答えるしかありません。

 ここから引き継ぎ開始です。とはいえ、引き継ぐことは多くなく、引き継ぐこともメモにしてきてありましたので、割とスムーズにいったように思います。

 このあたりから、「あと○日」と、自分の中でのカウントダウンも始まりました。
 さて、こうして「辞める」ことになったからには、身辺整理を始めなければなりません。

 やらなければならないことは、
  ・お世話になった方々への挨拶
    → これは辞める直前でOKかな。 あまり早く言いすぎても。

  ・机の中の整理
  ・ロッカーの整理
    → 周囲に悟られないようにやらなくてはなりません。

  ・ほか、私物の整理
    → 担任やっていたときに大量に教室に持ち込んだ参考書をなんとかしないと。教材室に隠してあるやつ。

  ・校内手続き
    → 事務から言ってくる……でしょう。たぶん。

  ・私学共済の積立貯金解約
    → 意外と忘れやすいんだよね、と事務課長が教えてくれました。

これくらいだったかなあ。私の場合、とにかく私物が多かった! 寄贈してもよかったんですが、次の仕事が「教材開発」であるからには持って帰るべきでしょう。
 
 机の中やロッカーの中の整理、これは意外と苦労しませんでした。

「あら、origi-stan先生、ちょっと早めの大掃除ですね。できる人は違うな~」

なんて勘違いしてくれましたので。もちろん、極端にモノが少なくなったような印象は与えないように注意しました。

 こういうときに微妙に勘の鋭い人もいるものです。

 ある金曜日の夕方、麻衣子(仮名)さんがたまたま学校に遊びに来ていました。で、入試広報室にもちょっと顔を出してくれた。そこで言われました。

「あれ~? origi-stan先生、ずいぶんきれいにしますねー」
もう年末近いしね。ちょっと早めの大掃除。
「……にしては、今年の教務内規も捨てちゃうんですね?」
あっ、いけない、いけない。去年のものだと思ってたよ(変なところ見てるなー)
「あははー、もしかして、辞めちゃうとか~?」
(なんでこんなところの勘が鋭いんだよ……)

あたりを見渡します。私と麻衣子(仮名)さんの2人きりです。おぉ、俺、成長したじゃん。こんなシチュエーションに耐えられるだなんて!(話がそれている気がしますが、気のせいということで)。

……麻衣子(仮名)さんね、実は……。
「?」
おれも辞めるんだよ。この年末で。
「…… ( ゚o゚)ぱーどぅん?
ぼくのおきまりの台詞取られた……。
「それは意味がわかりませんけど、辞めるって、部長をですか?」
いや、学校を。
「!!!」

久しぶりに麻衣子(仮名)さんのびっくりする顔を見た気がします。やはり、衝撃だったようです。ただ、彼女もこう付け加えました。

「わかる気はします。」

卒業生にまでこんなことを言わせてしまう、今の学校の体制。これは、なんとかしなくちゃいけないよな、と思いました。残った先生方にここはなんとかしてもらいたい。今でもそう思っています。
 夕食時。女房にこの日1日の「辞めます」行脚の話をしました。聞き終わって……。

「聞いてはいたけど、事務長さん、アホだね」
肯定することはしないけど、センスのない発言であることは間違いないな。
「それに理事長さんの、『もう一度カミさんと話してこい』って何。どういう意味?」
本当は辞めてほしくないと思っている、って引き出したいんじゃないの?
「またうつ病になられたら困るからちゃんと仕事辞めて」
ああ……。

そうです。最初に「転職を考えている」といったときに、実は「またうつ病になられたら困るからどこかにご縁があるのならば」と言われていたのです。

でもさすがにその発言をいきなり理事長の前で言うわけにもいかないだろ?
「まあねえ。」
少し時間をおいて、そうだな、来週の頭にでも「考えたけどやっぱり辞めます」って言いに行こう。
「そうしてくださいな。」

後日談ですが、女房のお父さんに「転職する」と伝えたとき、こんなことを言われました。

「いや、実は心配していたんだよ。娘が、『最近origi-stanさん、家に帰ってきてもほとんど何もしゃべらないでご飯食べて、そのまま部屋に閉じこもって仕事するってのが1ヶ月くらい続いてるの。子供にもほとんど話しかけないし……』と言っていたことがあって。余計なことをしてはいけないと思いながらも、私の勤務先で君を引き受けられないか、人事に相談に行ったことがあったんだよ。」

周囲には、「職場環境を変えるために辞める」と思われるかもしれないな、とこのとき気づきました。ちなみにお義父さんの勤務先では「ちょっと今は難しい」との返事だったようです。

話を戻します。

翌日からは「何食わぬ顔」で勤務しました。校長も副校長も室長も事務長も、何も言いません。そして週が明けた月曜日。理事長室の扉をたたきます。

失礼します。
「で、どうすることにしたんだね?」
申し訳ございませんが……。
「……そうか、わかった。」
まだもう少し時間はありますので、最後まできちんと仕事はします。
「わかった。頼んだぞ。」
……ありがとうございます。失礼します。

なんだかあっさりしすぎだなあ、と思いましたが、まあそんなもんかもしれません。そしてその日の午後、今度は事務長から内線がありました。事務室に来い、と。

何だろうと思ってひょこひょこ出向くと、「ほい」と1枚の紙を渡されました。

「通知書  貴殿が本年12月31日で退職することを了承した旨通知いたします。」

私の退職は、これで決まりました。あっけないもんです。
 翌日。校長室の様子をうかがいます。おっ、校長、暇そうにしてるな。……今、かな。

こんこん。

「ん? origi-stan君かね、いいよ、どうした?」
失礼します。実は今日は、お願いというか、お伝えしたいことがありまして。
「怖いな、君からそんなこと言われると。金がかかるのはナシだぞ」

うーん、金はずいぶんかかるかもしれません。

大変急なことで恐縮なのですが、12月31日付けで退職させていただきたいと思いまして。
「……は?」
えぇ、今年度ではなく、今年いっぱいで辞めさせていただきたいと思っています。
「……辞めてどうするんだ。」
どこか民間に行きたいと思います。
「困るな。おまえが辞めるってのは俺の計画にない。」
大変申し訳ありませんが……。
「……。」
……。

しばらく沈黙。

「……あとで連絡する」
わかりました。

入試広報室に戻ります。ちょうど入試広報室長もどこかから戻ってきました。室長にも伝えておこう。室長、ちょっといいですか? 入試広報室の向かいにある応接室に入ってもらいます。

「どうしましたか?」
いえ、室長、実は……。

かくかくしかじか、はぐはぐうまうま。

「やめてくださいよ」
だから、辞めるんですよ(笑)
「じゃなくて(笑)」
わかってますよ(笑) 申し訳ありません、もう……。
「なんとかならないですか?」
えぇ……。申し訳ありません。

……。
応接室のドアをノックする人がいます。入試広報室(事務出身)の真理(仮名)ちゃんでした。
「origi-stan先生、いま内線がありまして、理事長室に来てくれ、とのことです。校長もいらっしゃるそうです。」
ああ、ありがとう。

真理(仮名)ちゃんが退室しました。

「……今の話の件ですか?」
たぶんそうだと思います。
「私から先生に伝えたいのは、考え直してくださいってことだけです。」
ありがとうございます。

理事長室に向かいます。こんこん。失礼します。

「origi-stan君、ご苦労、まま、座って。」
失礼します。
「今、校長から聞いたよ。どういうことだね?」
申し訳ございませんが……。
「カミさんはなんて言っているのかね?」
あなたの決定に従います、と言われました。
「そりゃ、ダンナが決意したような顔していたらそういうだろう。ホンネはどうなんだ。」
……。
「もう一度カミさんと話し合ってきなさい。」
はい……。失礼しました。

ふぅ。一応慰留されています。一応かみさんともう一度だけ話してみますかね。

辞めるって面倒なんだなあと思いながら職員室に入ると、今度は前入試広報室長の副校長が手招きをしています。

「origi-stan君、ちょっと談話室へ」
はい。

かくかくしかじか。
副校長も最後には「もう一度考えてきてくれよ」。

ふぅ。俺、とりあえず来週末の学校説明会の仕事したいんだけどなあ……。
入試広報室に戻ろうと階段を降りていると……。

「origi-stanさん、ちょっと」
はい……。

今度は事務長。俺、こんなに人気者だったか?

ただ、最後の事務長の慰留は嫌でした。
「君がいなくなるとコストがかかるようになるんだよ」
「これまで君が作ってきたチラシとかを外注するようになったらコスト高になるだろ?」
「イラストなんとかってソフト?あれ、君のために買ったヤツじゃないか。君が辞めたら誰が使うんだ?」
……。
そんなこと、俺の知ったことか。
というよりも、それではなぜ「広告代理店」や「デザイン会社」があるのかを考えてみてください。内製することのメリットもある一方で、なれ合いや、スケジュール意識の低下といったデメリットがあり、トータルでコスト換算したときにはマイナスになるといったことがあるからでしょう。本気で言っていたのであれば、「事務長」としての見識を疑います。

何にしても疲れました。この日は、何かと理由をつけて定時で上がりました。
 そもそも、私はなぜ本校を辞めようと思ったのでしょう。さらには、「教員」を続けたくないと思った。なぜでしょう。

 トリガー(引き金)になったものは、間違いなく「麻衣子(仮名)さんのこと」でしょう。うつ病になり、現実から逃れるために「辞めたい」と思うようになった。しかし気持ちが落ち着いてきて病院にも通わなくてよくなり、仕事を頑張ろうという気力も(結婚などあって)今まで以上にわいてきた。それでも、私は「辞めたい」と思っていた。

最初にこのブログを閉じようとしたとき、私はこんなことを書いていました。

「責任」という言葉を考えたとき、私が教員をしていていいのかと思うようになったのです(いろいろと考えることがありまして。あっ、体罰とかセクハラではありません。念のため!)。【中略】今は、人生をよりよくするために変わりたいという思い。だから、勉強してでも転職を、と考えるのだと思っています。

この思いは転職をした今でも変わっていません。
まず、「教員」という職業に限界を感じてしまっていたのは事実です。
全力で生徒と関わってきました。でも、砂場に子供用のじょうろで水をかけているような思いがどうしてもぬぐえなかったのです。もちろん、実際に「水をかける」必要があるのですからやらなければなりません。経験を積むことで、効率の良い「水のかけ方」がわかるでしょう。少しでも多くの水を入れて砂場に臨むこともできるようになるのかもしれません。私たちの育てた子が大きく世界を変えることだってあるかもしれません。でも、私には限界だった。どうすればもっとたくさん「水をかける」ことができるか、そういう思いがありました。

そう考えたとき、私が水をかけなくても、「水をかける環境を整える仕事」だってあるではないか。そう思えたのです。転職の際の面接ではこのようなことを伝えていました。

もちろん、ネガティブ要因もたくさんあります。
まず、本校の問題。際限なく仕事が増えているような感覚があります。私が採用された頃にはもっとほんわかとした空気がありました。時代の流れ、なのでしょうか。ぎすぎすしたものを感じるようになっています。実は大幅な経営コストカットもありました。リストラがあり、ボーナスが数回カットになり、やっと持ち直してきてはいますが、それ以降でしょうか。

さらに、仕事のマネージメントやアドミニストレーションにも、我慢ならなかったことがたびたびありました(このあたりは割愛。これ以上はただの愚痴)。

教員の「常識のなさ」が嫌になった、という面もあるかもしれません。まあ、私にも「常識」はありませんが……。

こうした要因を諸々整理して、どう伝えるか。
考えました。
考えました。
………。
……。
…。

いいかな。
「民間で自分の力を試してみたくなった」
くらいで。本気で心配されていろいろと聞かれれば、上に書いたような教育に対する思いを言えばいい。そうでなければ「頑張ります」の一言でいいじゃないか。
そうだな、「子供がまだ幼稚園にも上がってないだろ、これからどうするんだ」と言われたら?
「どうしても立ちゆかなければ、教師は資格職ですから、もう一度教師の職を探します」
かな。内定している会社がある、なんてことは基本的に言わないでおこう。

こう考えたら、少しだけ気が楽になりました。

本当はこうしたことをしっかりと考えた上で「転職」に臨むんでしょうけどね。
結果オーライですが、今となって思えば「ここまで言語化せずによく転職に臨んだな」と青くなります。
 「辞める」にあたり、何が必要か。整理してみることから始めました。

当たり前だけれども、最終的には理事長に伝えなければなりません(本校は私立だからね)。ただ通常は、直属の上司に伝えるべきでしょう。となると、校長だなあ。そういえば昨年古川(仮名)さんから話を聞いたときも、校長に伝えた、って言ってたし。

問題は理事長に何を言われるか、だなあ。意外と理事長、頑固だしなあ……。

義理を欠かないようにという意味では、昨年までの室長(現副校長)にも伝えなきゃならない。「お飾り」ということになっている入試広報室長にも、校長の次くらいには伝えなくちゃならないな。もちろん、お世話になった先生方何人かにも伝えなくちゃならないけど、こちらはもう少し先でもいい話だ。

ただ、何よりの問題は、年度途中で辞めるということ。ただ、その点今年はラッキーといえばラッキーです。役職上授業のコマ数はかなり少なく、しかも高3ばかりを担当していました。何がいいかって、ほら高3は「2月からは家庭学習に入る」んですよ、ダンナ! さらに私が担当していたクラスは中堅私大受験クラスで、なおかつ(推薦で受かったり志望校を変更した結果)私の指導教科が受験科目になくなってしまった子たちのみになってしまったという、きわめて希有な集団だったのです。

授業という点ではクリアだなあ。

部活、も今年は問題ない。私の趣味ではまったくない「鉄道研究部」の副顧問だったのですが、「どうしてもここの顧問をやりたい!」と志願した新人君のお目付役としての副顧問でした。その新人君もよく育ってくれた。実質的な運営はすべて彼がやっていたから、私が抜けても大丈夫でしょう。

一番の心配は入試です。3学期には中学入試も高校入試もあります。「入試広報室」ですから、私の中での引っかかりがあるのはここでした。

うーーーーん…………。

道義的な問題はありますが、形の上では入試広報室長がいるということ(彼はもともと入試広報室長でした。定年して再雇用されたため、ここ数年は役職についていなかったのです)。入試広報室付き課長もいるということ(彼は私より年上で、実は経験も豊富です。しかも人がよい。授業以外に時間を取られたくないいうことで役に就くことを嫌がっていた、根っからの教員です)。ブログには書いてこなかったことですが、この1年で「origi-stanを一度入試広報から外して別の分掌をきちんとやらせるべきだ」という校内機運が高まっていたため、異例ながら「次年度はこのあたりに入試広報をやらせたい」という話し合いがすでになされていたこと。こうしたことを考えれば、私がいなくてもなんとかなるはずだ、と勝手に「判断」しました。

ほか、「辞めたい」といったら慰留にあたって言われることは何だろう?
そうだ、退職理由だ。

というか、普通はそこからですよね。
「辞めます」
「なぜだ!」
「かくかくしかじか、もぐもぐうまうま」
「今おまえがやっている仕事はどうなる!」
「かくかくしかじか、ぱくぱくうまうま」
「でもなあ、まだおまえは先も長いじゃないか」
ってな形でしょうね。「今やっている仕事」については脳内シミュレーションができました。肝心な、「辞める理由」もきちんと脳内シミュレーションしなくちゃなりません。