『where there is a will,there is a way.』

『where there is a will,there is a way.』

意志あるところに道は拓ける!!
少しずつ、楽しく、前へ進んでいきたいです。

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昨日、名古屋で友達の結婚式に出た。


1年間ボランティアの同期だった彼女は、とてもきれいだった。

「そんなにきれいな人だったっけ?」って思わず言ってしまったぐらい、綺麗だった。



『where there is a will,there is a way.』


思えば、去年一緒に京都から車で400km、島根・浜田までの往復、

車の中でいろんな話をしたことが鮮明によみがえっていた。


まだ約1年前のあの時はそんな話にはなっていなかったのに。

人の人生というものは、本当に「縁」だなって感じた。


本当に幸せそうだった。

終始、旦那さんとにこやかに、かつ、凛とした佇まいで、

なんか知ってる人なんやけど、高貴な身分の方みたいな感じ。


こちらも関係ないのに、ドキドキしたり、嬉しかったり、なんか落ち着かない。

「よかったなあ」って思う反面、「ひとつ先へ進んで、置いていかれた」ような寂しい感じもして、、、。

こういうの、「花嫁のお父さん」的な気分なんでしょうか。。。


しつこいけど、綺麗やったなあ。

いっつも、パンツはいてるから、ドレス姿はすごいギャップを感じて、「おっ!」っておもってしまう。



『where there is a will,there is a way.』

ボランティア365の同期は、やはり何か別枠の存在だなって改めて思う。

活動した1年も、みんな日本全国各地で、それぞれボランティアしているから

実際、会って話しているのは10日くらいにしか過ぎない。


京都出身の俺は、大分で。

北海道出身の彼女は、愛知で。それぞれ活動をしていたし。


6年前のあの10日あまりの日々が原点で、

こうやって、式にも呼んでもらえるのだから、ほんまに「縁」を感じる。


普段、そんなに会うわけでも、頻繁に連絡を取るわけでもない。

でも、その存在は貴重であり、別枠。


こういう「友達」がいるということが、とてもツイているなって思う。


あの6年前の1年がなければ、今の俺はない。

あのときの同期は、やはり不思議な連帯感がある。



『where there is a will,there is a way.』 『where there is a will,there is a way.』

末永くお幸せに。

呼んでくれてありがとうね。

2日目は15時に作業終了だったため、時間が経つのが早かった気がした。

みんなの息が合い、作業も慣れてきたから、そう思ったのかもしれないが、

やはりいつも持たないような規格外の重たいものをもっていると、腕はパンパンだった。



地元の区長さんは、とても我々に感謝をされていた。

最後にバスで帰る際、地元の方々とともに、バスが見えなくなるまで、何度も手を振り、お辞儀をされていた。

東北の方は、本当に我慢強く、奥ゆかしい方が多いと思った。

『where there is a will,there is a way.』
『where there is a will,there is a way.』


陸前高田で作業をしたのは、2日間で合計12時間にも満たないだろう。

すごく役に立てたとは到底思わないし、思えない。


でも、実際に現地へ行き、肌で感じることはやはり重要だと思う。

今回の体験をぜひ周りの人にも伝えて、長期的な支援が必要であること、誰にでも、その人なりの支援ができること、震災の恐ろしさなどを認識してもらえるようにしていかなければならない。


そのことが今回480人の応募があった中で、60人の参加者に選ばれ、

陸前高田で作業をさせてもらった僕たちメンバーのミッションではないかと思う。


大したことができなくてもよい。

何かできることがないか、情報収集をして、行動を起こす。


やっぱりそれがまず大事だなと結局は思った。



『where there is a will,there is a way.』



GW前半、災害ボランティアバスツアーに参加した。

行き先は、岩手・陸前高田。被害の大きかった地域で、連日報道されている。


4月29日AM7:00 京都駅八条口に集合し、バス2台60人あまりで出発。

2時間ずつ小刻みに休憩しながら、宿泊先の岩手・花巻の旅館に着いたのが、22:00。

15時間のバスの旅だった。東北は遠い。


花巻は内陸で、旅館も広くて大きかったので、地震の影響は全然感じられなかったが、

翌朝7時前にバスで出発し、陸前高田へ向かうと、沿岸部に近づくにつれて地震の被害が色濃くなっていく。



『where there is a will,there is a way.』

『where there is a will,there is a way.』


陸前高田に入ったのは9:30ごろ。

沿岸部から10km離れた地区の田んぼに山積するがれきを撤去するのが

今回のボランティアの仕事だった。


『where there is a will,there is a way.』



『where there is a will,there is a way.』

本当に海から10km離れたところなのか、、、、。と思うくらい、田んぼにはいろんなものが散乱していた。

ガードレールの残骸。折れ曲がった電信柱。注射器も散乱していたらしい。

学習机、家具、窓枠、、。。



『where there is a will,there is a way.』

『where there is a will,there is a way.』

津波の凄さ、恐ろしさを、小雨の降りしきる中、みんなが感じていたと思う。



『where there is a will,there is a way.』

『where there is a will,there is a way.』


ただ、「数は力なり」でもあった。「なんとか何かの役に立ちたい」と思って京都から来た60人なので、

意識の高さ、気持ちの強さは皆、一緒。呼吸があってくると、声かけや役割分担も自然とできるように

なり、広大なたんぼをきれいに片づけることができた。



『where there is a will,there is a way.』

主婦、大学生、中小企業の社長、映画村の役者、エンジニア、日本在住20年のトルコ人、看護婦、派遣社員など、いろんな人が集まっていた。立場、年齢、人柄、みな違うが、ひとつの方向に意志が重なると、人間の力も、すごいのだなということも感じることができた。

何といっても、20人近くでガードレールの残骸を運んだりもしたのだから。




2日目は、なんとか晴れた。1日目のたんぼを仕上げて、別の場所へ。

また、同じように散乱しているものをどんどん道そばへ集めていく。木材、塩化ビニール、金属などで分類する。

ときおり、卒業証書、写真、印鑑、人形なども出てくる。首のないお雛様を観た時は、悲しくて涙が出そうになった。大半が泥を浴び、湿っているが、乾かしたり、きれいに拭いて、近くの警察へ引き渡した。

ひとつでも多く、持ち主と対面してほしいと切に願うが、、、。



『where there is a will,there is a way.』 『where there is a will,there is a way.』



『where there is a will,there is a way.』


『where there is a will,there is a way.』

10m以上の大木も倒れていた。


『where there is a will,there is a way.』

15時15分を指している時計。

おそらく津波が到達して被害を受けた瞬間に針が止まったのだろう。