NHK「あの人に会いたい」安部公房篇から要約してみました。


-安倍公房のインタビューから-

 

関心は、今(時代)を見ること。

それはメビウスの輪である。それを箱とか壁、砂、鞄というものに投影する。

いい投影体を探すこと。

 

現代人の孤独複雑化する社会

「燃えきた地図」迷路のような先行きの見えない社会で自分を見失う不安

「方舟さくら丸」核に覆われた地球からの脱出

 

テーマを考えながらない

テーマは後で作中人物共同で考え出す

作中人物がテーマを思いつくまで待たなければいけない。

 

視点を変えるとわかりきったものが迷路に変わる。

 

例えば犬は匂いの濃淡で記憶やなんかを形成している。

このの感覚で仮に地図を作ったら変な地図が出来る。

視点を変えればわれわれがどこに置かれているかという認識が変わってしまう。

このように認識が変わることで深く状況を見る。

 

文学作品というのは小さいなりに生きている世界を作って提供する作業である。

 

お説教、論ずること、人生の教訓とかはエッセイ、論文とかに書けばよい。

小説というのはそれ以前の意味に到達しない実態提供して読者に体験してもらうもの。

意味を読んでしまうと迷路に入り込むなら、迷路を体験すればよい、終局的に意味に到達するのは間違い。国語教育ではない。例えば大意を述べよのような考え方。

 

地図、航空写真なんかは見れば見るほど際限なく読みつくせる。

無限の情報が含まれている。

その無限の情報が含まれていないと作品とはいえない。

 

無限の情報である人間は。

ういうふうに人間を見見なきゃいけないし、見えるんだようということを作者は書かなければいけない、読者に伝えなければいけない。

安倍公房は、満州で子供時代を過ごした。

複数の民族が共存する理想国家、「五族協和」を目指そうという教育を受けた。

 

だが、現実は違った。中国人が日本人から蹴り飛ばされたりしているのを見て矛盾を感じた。あるべき姿ではない。それが、色んな疑惑(作風)を生むという結果になった。

終戦を迎え、住む場所、満州を失ったことを体で感じた。

それはつらくなかった。人間っていつでも何かを失っていくが幸せだと思った。

 

満州という環境は都市的な環境だった。

周りには農村はなかった。都市的な人間として作られた。

だから、農村と都市との問題については敏感に自分の問題、発想のバネになった。

 

自分と他者。他者との通路を回復しない限り、人間の関係というものは本当のものは出来ない。

小説の一貫したテーマは、人間の家計とは何か?他者とは何か?

他者との通路の回復はあり得るのか?