歓喜の夜の余韻に包まれ、目を覚ます。
耳の奥に、体の隅々に、昨日の幸福のかけらが残っているかのようだ。
しばらくまどろみながら、帰路に着くまでの残り時間の潰し方を
あれやこれやと考える。
たぶんレコード屋を5・6軒、はしごすることになるのだろうけど。
ベッドに備え付けられた時計を見ると、そろそろ朝8時を回る頃。
ぼくはのろのろとリモコンを探し、TVを点けた。
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しばらく呆然とした。
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気を取り直して、画面に映る光景を、頭の中でちゃんと理解しようとする。
ようやく、今度こそ目がぱっちり覚めた、ようだ。
三沢光晴というプロレスラーが亡くなった。享年46歳。試合中のアクシデント
により、亡くなった。
「ファイティングTV SAMURAI」の提供映像に映るリング上の一部始終は、我々が普段見るプロレスの光景とは一線を画したものだった。意識を失った三沢の周りを何人ものレスラーが囲み、各々が自分のシャツを脱ぎ捨て、三沢に掛ける。それはAEDの使用に際し、体の水分を拭い去るための行為なのだが、このとき自分にはその行為が、愚直に体を温める行為に見え、なんとも言い難い気分になった。
その後三沢は病院に運ばれ、13日の午後10時10分に死亡が確認された。
TVを消し、携帯のニュースサイトで情報を再確認する。驚いたことに、興行は続けるようだ。
更に調べる。なんとスケジュールに博多も入ってる。
いつだ? 今日だ。
じゃあどうする? 行こう。
自分でも驚くほど、あっさりと決めた。正直なところ、特別に三沢のファンであったことはない。このことに関して嘘をつくつもりはない。
だけど、いちプロレスファンとして、こんなに近くで興行があるのに、別れの挨拶にすら行かないなんて有り得ない。もしチケットが手に入らなくても、会場の前で手を合わせるくらいのことは出来るだろう。
もともと予定らしいものは特に無い。バスの予約を遅い時間に変更し、試合会場である博多スターレーンに向かうことにした。

ネットの情報によると当日券は15:00に発売とされていたが、1時間早めに行ってみた。幸運なことに早めにチケットは販売開始されていた。会場の前には早くも民放各社のカメラが揃っていた。プレスパスを付けた無表情な輩の群れを縫うように、ぼくはスターレーンの中に入った。
当日券は2階の入り口付近で販売されていた。動かないエスカレーターに並びながら、ふと階上に目をやると、そこには手すりにもたれかかり、焦点の合わぬ目で階下を眺める百田さんの姿。迂闊に声を掛け難い姿がそこにはあった。
チケットを買い、階段を下りると、ホワイトボードに2つの張り紙が貼ってあった。

試合開始まで時間が大幅に余ったので、近くの書店で暇を潰すことに。よりにもよって、「グインサーガ」の127巻を購入。まさかこんな日に、この本を買うことになるとは。あとがきの日付は4月29日。また憂鬱になる。129巻までは執筆済みのようだ。終わりの無くなった物語に、あと何巻か付き合うことになる。
今年に入ってエリオ・グレイシー、忌野清志郎、栗本薫といった方たちが亡くなった。ぼくにとって重要な人であったり、あまり影響を受けなかった人であったりと、その死に関して受ける印象は様々であったが、いずれの死にも多かれ少なかれ喪失感を感じたことは確かだ。今年はとくに、失うパーツが多すぎる。そのぶん、天上は賑わっているのだろうか。そして昨日、テッドタナベさんまでも天に召された。天上のプロレス界にもレフェリーは必要なのだろうか。不謹慎極まりないのは承知の上だが、ふとそんなことも考えた。
博多駅地下の「一蘭」(少し味が落ちたかも)で早めの夕食を済まし、スターレーンへ。カメラは更に増え、その中には「ズームイン」のスタッフジャンパーを着た人の姿もチラホラ。筋違いだがかすかに怒りを覚える。3月に地上波切っといて、いまさら何なんだよ。
もちろんこんな考えは筋違いかつ無粋も甚だしいので慌てて昂ぶりを消し去る。でもなるべくそちら側を見ないようにして会場の中へ。

場内には簡易ながら献花台が供えられていた。沢山の花束と、そこに立ち尽くすファンたち。ぼくは静かに手を合わせ、小さく弔いの言葉を唱え、列から離れた。
遠くから眺めていると、群集の中から突然、物凄い嗚咽の声が響いた。聞いている方が居たたまれなくなるほどの、深く沈鬱な号泣。こんな悲しい声を、プロレス会場で聞くのは初めてだった。その人にとって三沢光晴というレスラーの死は、ぼくなんかが想像すらつかないような、大きな喪失だったのだろう。
そして、この日この会場を包んだ重苦しい雰囲気は、さながら質量を備えているかのように思われ、肩にずしりとのしかかるような圧迫感さえ感じさせた。
会場は8~9割ほど埋まり(決して満員ではなかったことを、きちんと記しておきたい)、試合開始に先立ち、全選手立会いのもとで10カウントゴングが鳴らされた。ぼくは赤コーナーサイドで見ていたのだけど、リング下に立っていた雅央、ヨネ、そして彰俊の顔が涙に歪んでいたのはかろうじて見えた。

この後、本当なら試合展開に関して色々書かなければならないのだろうけど、2日経ったいまも、全くそんな気にならない。じゃあなんでこんなに長々と書いてるんだと突っ込まれるかもしれない。
それはただ、この日突然試合を見に行こうと思った、自分の心の推移を記録として残しておきたいと感じたから、としか言いようがない。悲しみとか痛みとか、そんな感情がいまだに心の内から沸いて来ない。まだきちんとした答えは出せない。それがひどくもどかしい。
だからといって、全ての試合に何も感じなかったワケではない。今回見に来た目的の一つは、三沢の遺影に手を合わせることだった。そしてもう一つの目的は、対戦相手の一人である斉藤彰俊の姿を見ること、だった。
彰俊はタッグマッチで第2試合に出場した。入場するときから顔をクシャクシャに歪ませ、リングインしてからは自らを鼓舞するように絶叫した彰俊。対戦相手とのエルボー、ミドルキック、ラリアットの張り合いはまるで、相手を傷つけ、自らを傷つけ、そしてその姿を周囲に晒すことで、途轍もない禊ぎを己に課しているかのように映った。試合後、本部席に飾られた遺影に向かい土下座する彰俊。リングから離れ、タッグパートナーのバイソンに抱きかかえられ、憔悴しきった表情でバックステージに引き上げる彰俊。このときちょっとだけ、鼻の奥がツンとなった。これからも彼のプロレス人生は続く。贖罪の意識を持ちながら、哀れなほど愚直に進むしかないのだ。
2試合目で感情の沸点に達した後、少し落ち着く。時計を見て逆算すると、バスの都合でどうしてもメインまでは見れない。せめてセミまでは堪能しようと気持ちを切り替え、リング上の戦いに目を移す。
会場内に漂う、張り詰めた空気を敏感に感じ取りながら、「ノア流」にこだわりを見せて戦おうとする選手たち。熱闘・激闘に見えながらも、その意気込みはときに空回りしているようだった。
あくまでも「ノアのプロレス」というものを変わらず押し出そうとする姿勢はときに痛々しく、ときに硬直したスタンスを感じさせる。パンフを買ってカード編成を見たときにも感じたが、この団体は上手く世代の新陳代謝が出来なかったんじゃないのだろうか。トップどころでカラダを張る選手の世代交代が捗らなかった結果、三沢・小橋といった四天王時代の選手の消耗を早め、あってはならないリング禍を引き起こしてしまった、のかもしれない。あのハードバンプを身上とする三沢が、彰俊のバックドロップひとつでくたばるような選手であるわけがない。全日時代からのバンプの蓄積、さらに過酷を極めた社長業との兼務(巷間伝えられるように、3月の地上波打ち切りによる収入の激減など)による心労など、死因は多岐に渡るものがあるだろう。問題は表層から見るより遥かに根深い、ような気がする。
セミ終わりで時計を見ると、すでにタイムリミットぎりぎり。結局、ジョー樋口によるタイトルマッチ宣言すら見ることなく、途中で退席した。
とにかく、失ったものはあまりにも大きい。今回の件はジャンルとしてのプロレスの衰退を、さらに印象付けるものになったのかもしれない。
それでも、旅は続いていくと信じたい気持ちはある。「Life goes on」。転がり続けながら、あがく者の姿を見続けていきたいとも思った。
最後に、三沢光晴選手のご冥福を、心よりお祈りします。あなたが灯し続けようとしたプロレスの火、もう少し見守るつもりです。


