珍しく、本当に珍しく六時に、そう、朝の六時に目が覚めた。今日は土曜日、普通なら週末、普通ならお休みで浮き浮きな人が多い事だろう。ラヂオを点ける。徳光和夫、徳さんの番組にtuneする。
昭和歌謡が聞けるこの番組が好きなのだが、普段は寝坊助の為、聞けない。ああ、しかし今日は聞けた(*^-^*)徳さん何時までもお元気でお稼ぎください\(^o^)/
coffeeで腹を温めひょっこり起きる。普段できぬ喜びみたいなものを感じながらふと半畳の流しを見る。うわッ( ゚Д゚)現実が・・・
洗い物が重なり合って置かれている。いつもの様に嫌気が痺れと共に前頭葉と頭頂葉の間をすり抜ける。しかし・・・
ストーブで暖まった部屋を振り向けば。緩やかに膨れた空気がわたしを和ませる。そう言えば緩やかと暖かは作りおなじかあ(*'▽')
ああ、そうさ、洗い物が溜まった流しを見れば心が乾く。だが穏やかに膨れた空気に触れれば心が和む。それもまた現実。
現実って奴は厳しい半分穏やか半分と気付く。
それなのに他人は(私は)、厳しい現実ばかり見て(現実は厳しい)と勝手に思い込んでしまう。振り向けば厳しい現実。振り向けば、また振り向けば・・・そこにある現実のみに激しく落ち込んでしまう。また去来する頭頂葉の痺れに(ああ、現実とは厳しいものなのだ)と勝手に思い込む、それの繰り返し、そして勝手に現実に絶望する毎日。
だがそうじゃない!振り返れば、ふんわり暖かな、柔らかな、優しい現実だってあるのだ。それが交互にとか、日ごとにとか、来るのではない。振り向けばあるのだ。厳しい現実と穏やかな現実が表裏一体でそこにあるのだ。(ああ、振り向けば(目先を変えれば)良かったのだ(*'▽'))と気付く。
普段はそんな事思いもしないね。ただ目の前の厳しい現実に落ち込んで、打ちひしがれて、絶望して。
でもそうじゃない、振り返れば(目先を変えれば)いいだけだった。なんて単純な話だ。厳しい現実を振り返れば、暖かで穏やかな希望の現実が何時でもそばにいてくれているではないか!
なんてうっかり屋さん(∀`*ゞ)テヘッ おいおい。
厳しい現実と穏やかな現実、希望と絶望は交互に来たり、日毎に来たりするものではなく、表裏一体、何時でも一緒にいるものなのだ。そう考えれば厳しい現実も少しは気が楽だ。目線を背けるのとは違う。少しずらして両方を確認するのだ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ・・・
逃げちゃ、ダメだ。
うお~今日も現実に挑むぞ~(^O^)/