挑戦こそ、人生 | みんな、大丈夫。

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「生きづらさ系アーティスト」として活動しております。

挑戦し続ける人生を送りたい。しかし、挑戦すれば失敗することもある。

 

だが怖れるべきは、失敗じゃない。失敗を恐れて、何もしないことだ。

 

私も失敗することに怯え、尻込みしてしまうときがある。

 

逡巡する自分に喝を入れ、私は今日、新たな挑戦をした。

 

 

※ ※ ※

 

 

人は、乳首への刺激だけで、射精できるのだろうか━

 

それは、いにしえより人類の歴史と文化に横たわる、崇高かつ普遍的なテーゼである。

 

 

そのテーゼに、私は、挑んだ。

 

即ち本日、私は、オナニーをした。

 

小一時間にわたり、乳首のみへの刺激を、粛々と敢行した。

 

 

私は常日頃、オナニーならびに性交の際、乳首がたいへん感じるのである。

 

換言すれば、乳首が性感帯というわけだ。

 

殊に、女性から当該部をお舐め頂くと、脳内が瞬時にパラダイス銀河と化すのだ。

 

この「乳首が性感帯」という厳然たる事実は、此度の挑戦に於ける勝算を裏付けるものだ。

 

 

なので、私は私の乳首を、徹底的に蹂躙した。

 

つねった。

 

クリップで挟んだ。

 

自らの唾液を、盛大に塗りたくった。

 

賞味期限切れのタバスコを、塗布した。

 

 

剣山でリズミカルに、アナーキーかつアンニュイな刺激を加えた。

 

 

だがしかし、大河の一滴にも似た我慢汁が、我が亀頭を虚しく湿らすのみであった。

 

胸中に残ったものは、ただならぬ自己嫌悪だけだった。

 

 

いま猛烈に痛いのは、乳首なんかじゃない。この心である。

 

 

確かに私は、この聖戦に、圧倒的な惨敗を喫した。

 

平生のオナニーに於いても偏執狂的に乳首を刺激する自分ならば、ダブルミーニングでイケるだろう━そう考えていた。

 

 

私は自分の甘さを、心から猛省した。

 

乳首への刺激だけで射精する自分は、まだ遥か彼方であった。

 

 

乳首のただならぬ傷みを引きずりながら行った右手でのオナニーは、哀しみの絵の具に染まり尽くしていた。

 

色褪せた乳白色が、心のキャンバスとティッシュに、憂鬱を描き出した。

 

 

しかし、私は決して、諦めない。

 

乳首への刺激のみによって、射精することを。

 

 

何度も挑戦し、時には失敗しながらも、目標へ近づいてゆく。それが、人生だ。

 

負けることは、恥ずべきことじゃない。

 

負けを怖れて諦めてしまえば、夢への扉は閉ざされてしまう。

 

夢は決して、逃げやしない。

 

そう、私たちが、諦めない限り。

 

※ ※ ※

 

本日も最後までお読み下さいまして、誠にありがとうございました!

 

・《虐待サバイバー写真展》(https://kojikoji.themedia.jp/posts/4128584)では、被写体として協力させて頂きました。

 

◆生きづらさフェス『布団の中のアーティスト』(http://blog.livedoor.jp/futon0405/)◆

・開催日  11/4(日)

・会場 茅ケ崎・Login(ログイン)さん

・開場 17時 

・開演 17時半

・入場料 1000円(打ち上げ代込み)

 

皆様のご来場を、心よりお待ちしております!(^^)!