「兄貴の義務を果たしてんだよ」
あたしの頭の中に、何度も何度も、あいつの声がこだまする。
あいつは、あたしに彼氏が出来た事を嫌がってくれた。
あたしが彼氏を作る事を、本心から嫌がってくれた………
前に言ってくれた、あたしが居ないと寂しいって。
あたしを兄貴が必要としてくれてる………その事はとっても嬉しい。
でもそれは、『あたし』の事が必要だからじゃない。
あいつはあたしの兄貴だから………
兄貴なら、そうするのが当たり前だから………
あたしが、兄貴の『妹』だから………
御鏡さんが帰った後、あたしは黒いのに電話をかけた。
「この前は………打ち上げのときはごめん」
「ええ、あんなふざけた事はこれっきりにして欲しいわね。沙織から聞いたわ。偽彼氏ですって?」
いちいちムカツク喋り方だ。
だけど、今回の件に限っては、あたしが何かを言う資格はない。
「うん。もう、そうする必要もないから」
「そう?それで、その彼氏を連れてきてどうしたのかしら?」
「あのね、あたしが偽の彼氏を連れてたら―――あいつね、『おまえには桐乃はやらん』なんて言っちゃってんの!」
そう。兄貴はそう言ってくれた………
「そ、そうなの?い、妹の彼氏にそこまで言ったのね」
「マジキモイっ!ほんっとシスコンだよねー、あいつ」
「でも、そもそも何故、偽彼氏なんて連れてきたのかしら?」
「………………………………」
痛い質問だった。
でも、事の真相は、いくらこいつでも教えるわけにはいかない。
「あたしさ、あいつと仲が悪かったってのは教えた事あるでしょ?」
「私の目にはずっと仲が良さそうに見えるわね」
「ちゃんと聞いてよ!アンタの目にはそう見えたかもしれないけど、アンタに出会う直前までさ、あたし達、喋ることも殆ど無かったんだよね」
あの頃を思い出し、あたしの胸は締め付けられる。
あんな気持ち、もう二度と味わいたくはない。
「意外だわ」
「本当は、今でも、普段は………あんた達が遊びに来てない日は、兄貴と全然喋る機会もないしね」
「そう………」
「だからね、兄貴ともっとお話したかった、兄貴にもっとあたしの事見ていて欲しかった………それが、あたしがバカな事をしてしまった理由」
「………分かったわ」
とりあえず、納得はしてくれたようだ。
「それじゃあ、二つ、質問があるわ」
「何よ?」
「まず一つ目は、先日の偽デートの件。本当に美咲さんは付いてきていたのかしら?」
「………………………………」
この質問は、あまりにも予想外だった。
こいつの鋭さを少しなめてかかっていた。
「そう、居なかったのね」
「………………………………」
「まあ、いいわ。お兄さんと一緒に居たかっただけだと一応納得しておくわ」
「ふんっ!」
だって、どうしようもないじゃん。
今さら、嘘をついたって………
「それじゃあ、二つ目の質問」
突然、こいつの口調が変わる。
さっきまでの問い詰めるような口調ではなく、何かもっと必死な感じに………
「今度は何よ」
「もし、あなたのお兄さんの事がとても好きな女の子が居て、その娘があなたのお兄さんに告白したら、あなたはどうするつもり?」
「はっ、バカじゃん?あいつの事好きになるような女、地味子しか居ないって」
そう、そのはず。でも、何、この嫌な感触。
あいつの事を好きな女が居るってだけで、こんなに気分が悪いの?
………ううん、違う、さっきのこいつの口調、明らかに誰か特定の人物を指している。
「答えて。あなたはどうするつもりなの?」
「………………………」
まさか………でも、よく考えれば、それしか考えられない。
こいつが兄貴に好意くらいのものを持ってるとは思ってたけど………
こんなに必死に食い下がるくらい、あいつのこと好きだったなんて………
「あんた………あいつのこと………………………好きなの?」
「ええ、そうよ」
目の前が真っ暗になった。
あたしは、またあいつを失うのだろうか?せっかくあいつと仲良くなろうと思ったのに。………あいつの事………好きになってしまったのに………。
「私は、先輩の事が大好きよ。私の代わりに怒りをぶつけてくれて、私が拒絶しても私にまとわりついてきて、こんなダメな私の事にも、必死に取り組んでくれる先輩の事が」
黒猫の言葉からは、あいつの事を本気で好きだと言う感情が次々に溢れてくる。
あたしがあいつの事を好きなのに負けないくらい………………………
こいつ、本当はとっても臆病なのに、優しいのに………………………
あたしは、あいつをとられたくない………でもっ、でもっ!
「いいよ」
「えっ?」
「いいって言ってんのよ。あんたあいつの事好きなんでしょ?とっても」
「ええ、そうよ」
「それなら、あたしはあんたの事応援する」
「あなた、自分が何を言ってるのか分かってるのかしら?」
分かってる。分かってるよ。
あたしの感情は、あたしの理性を必死で否定してる。でも………
そう。兄貴だったら、こう、答えるはずだもの………
「分かってる。あたしはあいつの妹だから。あいつが喜んでいる姿を見たい。ただそれだけ」
「本当に、良いのね?」
「くどい。あんたはあたしの友達で、あいつはあたしの兄貴で………二人が幸せそうにしているのが一番じゃん」
「そう、分かったわ。近いうちに、私は先輩に告白するわね」
「………わかった。それじゃ、またね」
「ええ、それじゃあね」
電話を終え、あたしはふと自嘲気味に思う。
結局、バカな事ばかり繰り返した嘘つきの女の子には罰が与えられ、正直ものの女の子には、それに見合った報酬が与えられるわけだ。
それに―――あたしは、あいつの『妹』だ―――
そう思うと、高ぶった感情が一気に引いていくのがわかる。
あたしは、高坂桐乃ではなく、高坂京介の『妹』なんだ。そう、思う事に、した………
翌日、あたしは打ち上げパーティーのやり直しを前に、リビングで雑誌を読みながらくつろいでいた。
部屋で読んでいるのでは………そう、兄貴に出会えないから………
―――玄関から音が聞こえる。兄貴の帰ってきた音だ。
「ただいま」
「………ん」
そっけなく答える。
もう、あたしは『妹』なんだ。こいつの恋愛なんて、関係がないんだ………でも、どうしても気になってしまう。
あたしは『妹』だから、こいつの恋愛になんて口は出せない。
ううん、違う。『妹』として、『妹』としてなら、口をだしても良いはず………
「ねぇ」
「………な、なんだ?」
「どこ行ってたわけ?」
「学校、ちょっと用事があってさ」
「ふーん」
そっか、あいつに、呼び出されたの、かな?
あたしは努めて表情を隠し、こいつに内心を読まれないようにする。
「―――あのさ」
「うん?」
「なんか、変わったこと、あった?」
「別になんにも」
「ふーん」
あいつ、まだ告白してないんだ?
近いうちに告白するって言ったのに?
あたしの中の『桐乃』の部分が安堵している。
でも、『妹』なら、そんなことはない。
いい加減、あたしの中の感情に決着をつけないといけない。
『京介』が、『桐乃』を見てくれるかもしれないなんていう、みっともなく、心にこびり付いた感情を………
「よし、と」
あたしはソファに座りなおし、『兄貴』に声をかける。
「ねぇ」
「な、なんすか?」
「こっち来て」
兄貴は怪訝な顔をして近づいてくる………そうだ!
あたしの考えが正しいのか、兄貴に答えさせてみよう。
そうすれば、兄貴の正直な気持ちも分かるはずだし………あたしも本当に、納得できるはずだ………
あたしは兄貴に正座をさせ、昨日のことについて問い詰めることにした。
「あんたさ………あたしが連れてきた人が、本当の彼氏だったら………どうしてたわけ?」
「それは………もちろん、同じようにしてたよ。だって俺は、ネタばらしえおされるまでずっと、あいつのことを本当の彼氏だと思ってたんだからさ」
うそ………それなら、あたし………で、でもっ!
あたしは自分の揺れ動く感情を振り払うように、あいつに軽口を叩く。
「『男と付き合うのはやめてくれー』『桐乃と付き合いたいなら、俺よりも桐乃を大切にすると認めさせてみろー』って言ったってこと?」
「そ、そうだよ」
それならば、あたしは期待しても良いのだろうか?
『京介』が『桐乃』を見てくれる可能性を………
それを確かめたくて、あたしはもう一歩踏み込んだ質問をする。
「ふーん、じゃあ………そのあとは?もしも偽者の彼氏だっていうネタばらしがなくて、御鏡さんがあたしのこと本当に好きで、ちゃんとあんたと向き合って、説得してきたら………どうしてた?」
考えるだけでも心が切ない。あたしの答えは正しかったの?あんたにとって、『桐乃』と『妹』はどっちが大事なの………?
あたしは………………………どうしたら良いの………………………?
「それは………………………さーな、わかんねーよ」
「ちゃんと答えてよ」
ちゃんと、心から、答えてよぉ………
「おまえに本当の彼氏ができたら―――」
「できたら?」
「たぶん………」
「たぶん?」
「………………泣く」
「………何それ?」
あまりにも予想外の答えだった。
あたしの中では、認めるか認めないかの二択しかなかったのに………
「………二、三発殴って、ちゃんと話して、それで………大丈夫そうなヤツだったら………おまえもそいつのこと好きなんだったら………もう、泣くしかないだろ。イヤだけど、すげえイヤだけど………止めらんねーしさ」
「ふーん、そっか」
そうだ、こいつの語ってくれた、こいつの気持ち………
今のあたしの気持ち、そのままなんだ………………………
あたしは、こいつがとられるのがイヤだ。
イヤでイヤでしょうがない………………………
でも、『妹』であるあたしは止められない。
こいつのこと、本当に好きな娘がいるんだから………
あたしは沈みきった気分を冗談で吹き飛ばすために、こう続けた。
ううん?『妹』なら、嬉しいハズじゃん。必ず訪れる別れを、こんなにも悲しんでくれるんだから!
「あんたどんだけシスコンなわけぇ?キモすぎ!」
「なんとでも言え!」
「はいはい」
あたしは、『兄貴』に望まれる理想の『妹』として喋り続ける。
「でさー、あんたさー『妹を大切にする』んでしょ?」
「ぐあっ!」
『妹』は、兄貴の幸せを応援する。
決して兄貴の邪魔なんかしない。
それは、『妹』にとって『我慢ではありえない』
「あたしを大切にするってさー、具体的になにしてくれんの?」
「なにって………」
「もしかして考えてなかったわけ?あんな威勢良く言ったくせに?」
「………………………」
そう、これも、全部兄貴のため。
兄貴が、兄貴の事を想ってくれている、可愛くて健気な女の子と結ばれるため………
こいつが困ったとき言うセリフなんて、簡単に予想ができる。
「じゃあ………この前の侘びも兼ねて、なんでも頼みを聞いてやるよ。一つだけ」
「マジで?なんでもいいの?」
「俺にできることならな」
「じゃあねー、んーと」
考えるまでもない。言うべき事は決まってる。………そう。考える必要なんて………ないじゃない!
「もしも近いうちに、『あんたが大切にしてる女の子』から告白されたら、ちゃんと………真剣に考えてあげて」
それなのに、どうして『あんたが大切にしてる女の子』なんて言ったの?
どうして………『黒猫』って言えないの………?
「その子………ほんとにあんたのこと、好きだからさ」
どうして………あたしはあんたのこと、好きなの………?