父がつむいだ人生の記録

父がつむいだ人生の記録

父が遺した手記と写真

 

【第8話】
三陽建設さん

 

 

三陽建設さん
 

この会社は
自分の配達区域にあった建設会社である。

 

いつ配達に行っても

現場は活気にあふれ

 

事務所の白板には
「〇〇家 上棟式」の文字が並んでいた。

 

――なに、この会社。
そう思って見ていた。

 

 

偶然にも、その会社の下請けとして
左官職人の寺本君
タイル職人の魚住君のグループが
働いていた。

 

三人とも
同じサイクリング倶楽部の仲間だった。
それが、幸いしました。

 

 

「三陽の奥に頼んでおけ。間違いない」

そう言われた。

 

土地の話では
売ると言っていたのに手放さなかったり
半分ずつ分けると言っていたのに
相手が多く取りすぎたり――
 

色々あったが

結果的には
今の住所に落ち着いて、幸いであった。

 

 

四十八年が過ぎ
代が変わっても
三陽建設さんとの付き合いは続いている。

 

時々お会いする奥様の笑顔に
今も元気をもらっている。

 

友達だった寺本君、魚住君は、
すでに天国へ行った。

天国から、
見ているだろうか。

 

 

3月8日


三階から真下に見える
処方箋薬局の旗は
今日は休んでいる。

 


富士山(父撮影)

 

三男の嫁 由子のつぶやき

父が大切に守ってきた実家も
父亡きあと更地になりました。
 

寂しい限りですが
リビングでワイワイ過ごした思い出や
父が手塩にかけたぶどう
庭の木々の記憶は
色あせることなく残っています。

 

父の人生があった場所はなくなっても
ここで過ごした家族の時間は
それぞれの心の中に残り続けるのでしょうね。

 

 

 

【第7話】
電話機の設置

父が若い頃の思い出話。




申し込んでも、音沙汰なし。
 

電話局に出向いてみると、
「設置困難」の名簿の一番上に
自分の名前があった。

 

係員の説明によると
道幅が狭く
電柱を設置する場所がない、とのこと。

 

なるほど。
待てど暮らせど音沙汰がないわけだ。

 

 


ある時、その話を副課長にした。

すると

「自分の友達が、
 明石電報電話局で
 線路架設の係長をしている」

とのこと。

 

早速、連絡を取ってくれ
現地調査となった。

 

 

調べてみると
前の道路からは引けないが
裏の町内には電柱が等間隔に立っている。

 

電柱の間に捨て線を張り
この辺りに管地があるから
そこに小さい電柱を立てれば
屋内まで電話を引ける、という。

 

係長と副課長のおかげで、
なんとか電話が通じた。

 

その後
あれこれ言ってきた近所の数軒も
この電柱を利用するようになった。

 

その中の一軒だけが
 

「健ちゃん
 あの電柱立てるのに
 だいぶ使ったやろ?」

 

そう言って
菓子箱を持ってきてくれた。

 

他の数軒は、
断りもなく電柱を使っている。

 


 

あの時
電柱一本立てるのが大変でーー


近隣の五、六人が寄ってきては
「管地に勝手に電柱を建てて」
ごちゃごちゃ言うものだから
つい、こんな一言が
口から飛び出してしまった。

 

「こんな所、
 一生住むところやないね。」

 

この言葉に、
尾ひれがついて――

 

「健ちゃん、
 林を出るらしいで」

 


八十数軒の町内で
噂になっていると
知人が知らせてくれた。

 

 


二十四坪の土地。
なんぼ “せせくっても”二十四坪。


噂になっているなら
出てやろう。

 

だいぶ貯えもできていたので
妻の日出子に事の成り行きを話し
二軒分の土地を買って
十八年住んでいた林から
堂々と出て行った。

 

こんな経緯があって、今がある。


その後、
隣の倉庫も買い
土地は三戸分になった。
 

(口から出た言葉は、呑み込めない。)



三男の嫁 由子のつぶやき

この話、父らしいと思います。

若く、血気盛んな時代。
でも、その反骨精神があったからこそ
積み上げられたものもあるんですよね。


だるま(父撮影)

 

 

【第6話】
三歳で父を亡くした少年の決意

 

 

 

3歳の記憶

 

昭和8年11月18日。

三歳で父を亡くした淋しさは
当事者でなければ分からないと思う。


納棺された父の顔を見て
「お父さん、よう寝てる」
と言ったそうだ。

 

三歳の私には、覚えはない。

 



それでも――

「お父さんがいたら……」

そう思って
人知れず何度涙したことか。
 

母もまた、同じ思いであったと思う。
 


母は度々口にしていた。

「お父さんが、
 ただいま、と言って
 帰ってくれたら……」

 


成長するにつれ
心の片隅にいつも
その淋しさを抱えていた。

 

両親がそろっている者に負けるものか。


それが、私の心の盾だった。


親は、子どものために
長生きせねばならない。
そう強く思うようになった。

 

 

 

決断と宣言

 

郵便局で
たくさんの同輩がいる前で宣言した。

「明日からパチンコをやめる」と。

 

 

陰では
「あれほど凝っていて、ようやめるか?」
そんな声もたくさんあった。

 

 

コツコツと溜めた一万八千円。
当時の給料、三か月分。
 

それを使い果たした末の、決断でした。
 

その結果、昭和52年、
小さな家に住むことができたと思う。

 


~*~*~*~*

 

三男の嫁 由子のつぶやき

居間でも、庭でも

父はそんなことを語らなかった。

 

辛さも、悔しさも

胸の奥にしまったまま。

 

けれどそれらは

確かに父の背骨になっていたのだと

この手記が教えてくれました。

 


大塩天満宮 獅子舞(父撮影)
 

父の手記を読んでいると、

病院という場所が

小さな宇宙のように感じられます。

 

時間の流れが、外とは違う。

昼夜が逆転し

小さなことが、大事件になる。

 

そんな父の手記を文字起こししながら

なぜか私自身が

静かに癒されていくのです。

 

【第5話】病院という、小さな宇宙で

 

 

3月6日

この病院の縦割り。情けない話。

 

食後の歯磨き用のコップとブラシ。

ひどいときは、次の食事まで

引き取って洗ってくれない。

 

その時どうするか。

 

無断で歩行補助機を使い

三、四メートル離れた洗面所まで運ぶ。

 

次の食事のとき、

洗い立てのコップが整列している。

 

多忙なのはわかります。

 

前の病院では、

汚れた食器を見つけると

職員がすぐ洗い

食卓の片隅にピカピカになって届けられた。

 

職員に対する教育の違いか。

何かが足りない。

 

そんなコマゴマしたこと

聞いてられるか――

 

そんな声が聞こえてきそう。

 

 

3月8日 午前6時半

 

夜明けに点灯。目が覚める。

 

カーテンが開けられ

窓の向こうに
淡路島が横に長く
夜明けの姿を見せてくれる。

 

 

昨夜も深夜放送を聞こうと頑張っていた。

だが、掛け布団の重み

敷布団のしわを感じているうちに

いつしか全身の感覚が遠のいて・・。

 

遠くで音楽が聞こえていた。

 

目が覚めて時計をみると
2時間が経過していた。
聞きたかった深夜番組を聞き損ねていた。

 

そんな夜が、たびたびある。

 

それでも

そんな朝は不思議と頭がすっきりしている。

 

 

午前10時

窓越しに、やっと
早春の陽光が降り注いでくる。

一年でいちばん寒い時期。

病室のガラスが寒さから守ってくれた。

 

 

食後、爆睡。

定時検診の看護師さんに起こされる。

 

 

自分でできることは

自分のためにやろう。

 

食後、歯磨き後の処理を

洗面所でする。

 

歩行器をそばに置き

おぼつかない両足で立つ。

 

立てた。


一歩、前進。

 

梅の花(父撮影)

 

三男の嫁 由子のつぶやき

父のボヤキ。
最初は記事にするのを迷いました。
でも、これもまた父らしさ。
小さな違和感に
ちゃんと心を動かす人でした。

 

 

【第4話】
ふたを開ける楽しみ

 

一皿の感涙

 

転院する前の、ある日の夕食。

メインのおかずのふたを
そっと開ける。


すき間から、白いものが見える。


この時が
いちばんワクワクして
楽しみのひとつ。

 

サーモンの上に
卵の白身がかけられ
添え物のえんどうも、生き生きとしている。


 

驚いたのは、
魚のうろこの皮が取られていたこと。

食べる人への、細やかな気遣いを感じた。


一切れ口に入れると
さらに驚いた。
 

甘からず、辛からず。
よく煮込まれ、煮汁も十分にしみている。

 

こんな料理を
たくさんの人に出す病院食。

胸が熱くなった。

 

 

 

3月5

 

今日の昼食時。


「ふたを持っていっていいですか?」


トレーを置きながら
声をかけられた。


「いいですよ」

 

 

 

責任者のS氏に、昨日話していた。

 

配膳されたときに
すぐにふたを持っていかれる。
ふたを取る楽しみがない
 
と。

 

その思いが
すぐに現場まで伝わっていた。

 

ありがとう。


 

 

ありがとうに勝る言葉を
知りたい

 

トイレのボタンを押すと
迎えの車椅子を押してきてくださる。
 

一回目の「ありがとう」。
 

毎日、この言葉を
何回言っているだろうか。

今まで考えたこともなかった。

病棟生活をして、驚いている。
 


 

~*~*~*~*

三男の嫁 由子のつぶやき

食事の“ふた事件”。

 

当時、義父が怒っているのを聞いたとき、

正直、私はこう思っていました。

 

「食事のふたくらいで?」

「配膳の方は、きっと
 親切で持っていかれたのでは?」と。

 

でも
この手記を読んで、合点がいきました。


病院生活では
ほんのささやかなことが
一日の大きな楽しみになる。
 

ふたを開ける
その一瞬のワクワクが
生きている実感につながっていたのですね。

今なら、わかる気がします。


ぼたん鍋のちょうちん(父撮影)