息子J平が3才になった年のことです
それまでの1年数ヵ月を私は病院で
過ごさなければなりませんでした
その1年数ヵ月、
初めの2ヶ月は夫と私の母が、
その後は義父母が義父母の家で、
まだ2才に満たない息子を
世話してくれました。
( この時、私の母のとった行動は
生涯忘れられない母への失望として
私の記憶に残りました )
この時、言葉で確認し合った訳では
ないけれど
家族の皆がこの事態を最大危機と考え
最優先で行動している時に、
母は私に言いました。
「J平の面倒を見るのはしんどい」 と
生きるか死ぬかの状況の時だったので
心底、失望しました。
どうしよう、夫だけで大丈夫か
息子の世話を何とかしなくては
なりませんでした。
夫は義父母に助けてもらいながら
仕事と子育てを頑張っていましたが
夫への負担だけでなく、息子にも
とても大きな負担になっていきました
義父母は
このままではJ平によくないからと
J平は義父母宅で暮らす方が
良いだろうと言ってくれました
お爺ちゃんお祖母ちゃんの家で
規則正しい生活を、安心できる環境を
と義父母と夫が相談して決めました。
1年あまり、息子J 平は義父母の家で
私は病院で、そして夫は自宅に独りで
私達家族は離ればなれで暮らしました。
そして、
息子J 平が3才になった年の暮れ
私は病院から自宅へ帰ることに
なりました。
その日は12月31日大晦日でした。
その日から私の子育てが再開です。
1年数ヵ月のブランクで
私と息子J 平はぎこちなく、照れくさく
何をどうすれば良いのか、
戸惑いながら、向き合いました。
そうだ、無理せずやろう
3才だと思わないでやろう
1年のブランクを一度で埋めようなんて
そんなの無理。
1年前のJ 平だと思えばいい。
2才のJ 平を育てると思えばいい。
何もかも、時計を1年巻き戻して
始める事にしました。
子育て " Restart " です。
『 ヨロシクね♪ J平 』
それまでの1年数ヵ月を私は病院で
過ごさなければなりませんでした
その1年数ヵ月、
初めの2ヶ月は夫と私の母が、
その後は義父母が義父母の家で、
まだ2才に満たない息子を
世話してくれました。
( この時、私の母のとった行動は
生涯忘れられない母への失望として
私の記憶に残りました )
この時、言葉で確認し合った訳では
ないけれど
家族の皆がこの事態を最大危機と考え
最優先で行動している時に、
母は私に言いました。
「J平の面倒を見るのはしんどい」 と
生きるか死ぬかの状況の時だったので
心底、失望しました。
どうしよう、夫だけで大丈夫か
息子の世話を何とかしなくては
なりませんでした。
夫は義父母に助けてもらいながら
仕事と子育てを頑張っていましたが
夫への負担だけでなく、息子にも
とても大きな負担になっていきました
義父母は
このままではJ平によくないからと
J平は義父母宅で暮らす方が
良いだろうと言ってくれました
お爺ちゃんお祖母ちゃんの家で
規則正しい生活を、安心できる環境を
と義父母と夫が相談して決めました。
1年あまり、息子J 平は義父母の家で
私は病院で、そして夫は自宅に独りで
私達家族は離ればなれで暮らしました。
そして、
息子J 平が3才になった年の暮れ
私は病院から自宅へ帰ることに
なりました。
その日は12月31日大晦日でした。
その日から私の子育てが再開です。
1年数ヵ月のブランクで
私と息子J 平はぎこちなく、照れくさく
何をどうすれば良いのか、
戸惑いながら、向き合いました。
そうだ、無理せずやろう
3才だと思わないでやろう
1年のブランクを一度で埋めようなんて
そんなの無理。
1年前のJ 平だと思えばいい。
2才のJ 平を育てると思えばいい。
何もかも、時計を1年巻き戻して
始める事にしました。
子育て " Restart " です。
『 ヨロシクね♪ J平 』