≠Carlos Ghosn(64) | オレサマのブログ
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カルロス・ゴーン(1954年3月9日~)は、フランスの自動車会社ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)にして、日産自動車の前会長・社長、三菱自動車工業の前会長。またルノーと日産は、2010年以降全世界自動車市場の約10%のシェアを保っているが、ゴーンはルノー、日産自動車、三菱自動車工業の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)を兼務していたが、2018年11月に東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕され、その後解任された。

カルロス・ゴーン
Carlos Ghosn.jpg
生誕
ブラジル、ポルト・ヴェーリョ
1954年3月9日(64歳)
国籍
ブラジル
フランス
レバノン
民族
レバノン人
出身校
パリ国立高等鉱業学校
職業
実業家
雇用者
ルノー
団体
ルノー
著名な実績
日産自動車会長・三菱自動車工業会長・ルノー取締役会長兼CEO (PDG)
給料
10億9800万円(2016年度)(過少申告の疑いで捜査中)
肩書き
ルノー会長
任期
2000年6月~2018年11月
栄誉
ナイト・コマンダー
人物
両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンのベイルートで受けた。フランスの工学系グランゼコールの一つであるパリ国立高等鉱業学校を卒業した後、フランス大手タイヤメーカー、ミシュランに入社し18年間在籍。

ミシュラン社での業績を評価され、ルノーに上席副社長としてスカウトされ、同社の再建にも貢献した。

1999年3月、当時経営と財政危機に瀕していた日産がルノーと資本提携を結び、同年6月、ルノーの上席副社長の職にあったゴーンが、ルノーにおけるポジションを維持しつつ、日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任。後に日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)、ルノー・日産アライアンスの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。

「コストキラー」「ミスター調整(FIX IT)」 などの異名をとるゴーンは、日産再建に向け社員とともに「日産リバイバルプラン」を作成。短期間で日産の経営立て直しを果たし、2003年にフォーチュン誌は、彼を「アメリカ国外にいる10人の最強の事業家の一人」と称している2013年6月から2016年6月には、ロシアの自動車メーカのアフトヴァース会長も務めていた。

レバノンとブラジルとフランスの多重国籍を有する。

2004年には法政大学名誉博士になっている。2005年には、快進社、ダットサンで竹内明太郎と縁があり、早稲田大学からも授与されている。極度の経営不振と経済的危機の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されたり、大学の委員なども務めたりもしている。また、自らコマーシャルに出演するなど、マスメディアにも積極的に登場。漫画誌・ビッグコミック・スペリオールに「カルロス・ゴーン物語」[14]が掲載されるなど、広く知られる存在となっている。

2016年10月より、ゴーンはルノー・日産アライアンスに加わった三菱自動車工業の代表取締役会長に就任。2017年2月23日、日産自動車は同年4月1日付で副会長兼共同CEOの西川廣人が代表取締役社長兼CEOに就任することを発表した。ゴーンは引き続き日産の代表取締役会長を務め、アライアンス全体の経営に注力する。

KBE (大英帝国勲章・ナイトコマンダー)。

2018年11月、東京地検特捜部に逮捕され、日産、三菱の会長職を解任される。

生い立ちと来歴
祖父ビシャラ・ゴーンは、レバノンで生まれ13歳でブラジルに移住し、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 S・o Miguel do Guapor・ サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入[17]。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった。レバノン系ブラジル人である父 ジョルジ・ゴーンはロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚。

1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した。カルロスが2歳くらいの頃、不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転。カルロスが6歳の時、彼の3人の姉妹と母とともに、祖父の母国であるレバノン・ベイルートに転居し、ベイルートのイエズス会系の Coll・ge Notre-Dame de Jamhour(コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール)で中等教育を受けた。その後、パリ6区にあるプレップスクール Lyc・e Stanislas(リセ・スタニスラス)、そして、Lyc・e Saint-Louis(リセ・サン=ルイ)で学ぶ。1974年、エコール・ポリテクニーク(・cole Polytechnique)(グランゼコールの代表格でエリート養成校の一つ)を卒業し、1978年にパリ国立高等鉱業学校(・cole des Mines de Paris)で工学博士を取得し卒業。

大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュラン Michelin に入社した。フランス国内で工場長、産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを歴任 後1985年、30歳の時に3億ドルの市場を持つ南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命された。生誕地であるブラジルに戻ったゴーンは、彼に操業の立て直しを命じたフランソワ・ミシュラン(フランス語版)に、ブラジルのハイパーインフレ 下における事業の不採算性と困難について直訴している。しかしその中で、南米事業部におけるフランス、ブラジル、その他多国籍の従業員の間での最良な業務形態を模索し、クロスファンクショナルマネージメントチームを結成。このブラジルでの多文化体制下での経験は、後に彼の経営理念の核となるクロス・カルチャーな経営スタイルと強さの基盤を形成した。「人は多様性から学び、そして共通性に安らぎを感じる。」とゴーンは語っている。1989年、南米事業部を黒字転換させた後、ミシュランの北米事業部の社長兼(COO)に選ばれ、家族を伴い米国サウスカロライナ州グリーンビルへと移転。1990年にミシュランの北米の最高経営責任者(CEO)に昇格する。1996年に、ルノーの上席副社長にヘッドハンティングされ、再びフランスへと居を移したが、1999年にルノーと日産の資本提携が行われた後、ルノーでの役職も維持しながら日産の最高執行責任者(COO)に就任。家族とともに日本に移り住んだ。