【アルジャーノンに花束を】 | オレサマのブログ
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『アルジャーノンに花束を』(Flowers for Algernon)は、アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイスによるSF小説。1959年に中編小説として発表し、翌年ヒューゴー賞を受賞。1966年に長編小説として改作され、ネビュラ賞を受賞した。
アルジャーノンに花束を
Flowers for Algernon
著者 ダニエル・キイス
訳者 稲葉由紀(中編版)
小尾芙佐(長編版)
発行日 中編版1959年4月、1961年2月(日本語訳)
長編版1966年3月、1978年(日本語訳)
発行元 Harcourt, Brace & World
早川書房(日本語訳)
ジャンル SF小説
国 アメリカ合衆国
言語 英語


それまでのSF小説が宇宙や未来などを舞台とした作品であったことに比べ、本作は知能指数を高める手術とそれに付随する事柄という限定した範囲での前提でSFとして成立させている。ジュディス・メリルは、本作をSFの多様性をあらわす作品のひとつとして位置づけている。また、最後の一文が主眼であり、ここに収束される感動に泣かされる作品でもある。
作品背景・発表経過 編集 短編『エルモにおまかせ』を発表後、次作のアイディアを考えていたダニエル・キイスは、自身がニューヨーク大学在学中に書きなぐっていたメモを見つけ、そこから創作の構想を膨らませていった。
その学生時代のメモには、「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだに楔を打ちこむ」、「もし人間の知能を人工的に高めることができたら、いったいどういうことになるか」と書き留められていた。
キイスは、社会問題となっている「いじめ」「虐待行為」などの「暴力と精神崩壊」の原因について考え、「知能」が人間に与えられた最高の資質の一つであるにもかかわらず、その知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことが多い点に気づき、「愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす」こと、「自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ」を作品のモチーフに据えた。
知的障害のある主人公・チャーリイの書いた記録という設定のため、キイスは、実際に主人公と同じ特性を持つ少年の文章を参考にして、冒頭の文章スタイルを作っていった。
出来上がった中編を友人フィル・クラス(SF作家・ウィリアム・テン)に見せ、「これはまちがいなく古典になる」と太鼓判を押されたキイスは、さっそく原稿を『ギャラクシイ』誌に持っていくが、暗い結末をハッピーエンドに書き変えれば掲載すると言われてしまった。友人フィルは、絶対に結末は変えるなとキイスに強く忠言した。
結末を変えなかった中編『アルジャーノンに花束を』は、1959年に、アメリカの雑誌『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』4月号で発表され、翌年ヒューゴー賞を受賞し、アイザック・アシモフ編の『ヒューゴー賞傑作選 No.2』にも収録された。その後1966年に長編小説化され、ハーコート・ブレイス&ワールド社から刊行された。長編版はネビュラ賞を受賞し、ヒューゴー賞 長編小説部門候補にも挙げられた。過去の受賞作と同内容のものが候補となることは異例である。
作品内容 形式・文体 編集 主人公・チャーリイ・ゴードン自身の視点による一人称で書かれており、主に「経過報告」として綴られ、最初の頃は簡単な言葉や単純な視点でのみ、彼の周囲が描かれている。主人公の知能の変化により、文章のスタイルも変化していく。
あらすじ 知的障害を持つ青年チャーリイは、かしこくなって、周りの友達と同じになりたいと願っていた。他人を疑うことを知らず、周囲に笑顔をふりまき、誰にでも親切であろうとする、大きな体に小さな子供の心を持った優しい性格の青年だった。
彼は叔父の知り合いが営むパン屋で働くかたわら、知的障害者専門の学習クラスに通っていた。ある日、クラスの担任である大学教授・アリスから、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。先に動物実験で対象となったハツカネズミの「アルジャーノン」は、驚くべき記憶・思考力を発揮し、チャーリイと難関の迷路実験で対決し、彼に勝ってしまう。彼は手術を受けることを快諾し、この手術の人間に対する臨床試験の被験者第1号に選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇し、数ヶ月でIQ185の知能を持つ天才となった。チャーリイは大学で学生に混じって勉強することを許され、知識を得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。だが、頭が良くなるにつれ、これまで友達だと信じていた仕事仲間にだまされいじめられていたこと、自分の知能の低さが理由で母親に捨てられたことなど、知りたくもない事実を理解するようになる。
また、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままだった。突然に急成長を果たした天才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。周囲の人間が離れていく中で、チャーリイは手術前には抱いたことも無い孤独感を抱くのだった。さらに、忘れていた記憶の未整理な奔流もチャーリイを苦悩の日々へと追い込んでいく。
そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変が起こる。チャーリイは自分でアルジャーノンの異変について調査を始め、手術は一時的に知能を発達させるものの、性格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能は、やがて失われ元よりも下降してしまうという欠陥を突き止める。彼は失われ行く知能の中で、退行を引き止める手段を模索するが、知能の退行を止めることはできず、チャーリイは元の知能の知的障害者に戻ってしまう。自身のゆく末と、知的障害者の立場を知ってしまったチャーリイは、自らの意思で障害者収容施設へと向かう。
彼は経過報告日誌の最後に、正気を失ったまま寿命が尽きてしまったアルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージ(「ついしん」)として、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」と締め括る。
作者との関係 作者であるダニエル・キイスにとっても『アルジャーノンに花束を』は印象深いものであったようで、自伝『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』を書いている。
キイスは作家として1952年に最初の作品を発表したが注目されてこず、『アルジャーノンに花束を』が彼を「一躍スターダムにのしあげた」。彼は10代の頃から学資を稼ぐため、パン職人の見習い、パンの配送、軽食堂のウェイターなどをしたが、その時の経験も主人公チャーリイに注ぎ込まれており、キイスは、「チャーリイ・ゴードンはわたしです」と述べている。
アイザック・アシモフはヒューゴー賞をキイスに手渡したときの逸話として、以下のようなキイスの「不滅の名言」を回想している。アシモフがミューズ(知の女神)に向って、「いったいどうやって、彼(キイス)はこんなことをやり遂げたのですか? どうやってこんな作品を創りあげたのですか?」と問うと、その時にキイスもミューズに、「ねえ、わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。もう一度やってみたいから」と言ったという。
キイスは中編発表後も、主人公チャーリイのことが頭から離れず、チャーリイが「もっと書いて」と訴えかけていたと語っている。キイスは、チャーリイの「心と過去」を深く探るうちに、もっと彼の感情の発達形成の様々な経験を理解する必要性を感じ、長編化をおこなった。
長編発表直後に一人の精神科医から手紙を受け取り、これがきっかけで後に『五番目のサリー』へと繋がった。また『ビリー・ミリガン』のシリーズは、ビリー自身が『アルジャーノンに