⇒妲己 | オレサマのブログ
妲己は、殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)の帝辛(紂王)の妃。
帝辛に寵愛され、末喜などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。


略歴
基本となる『史記』「殷本紀」では、帝辛に寵愛され、妲己のいうことなら、帝辛は何でも聞いたという。
師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。
賦税を厚くして鹿台に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。
鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。

酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし(酒池肉林)、
男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。


その後、
妲己は周によって攻められた際に武王により殺されたとされる。
また『国語』では、帝辛が有蘇氏を討った際に有蘇氏が献上したのが妲己であり、己が姓、妲は字であるとしている(この頃女性は字を先に、姓を後に書く風習があった)。
妲己を字と見なすのは後世の誤解である。


『列女伝』巻7・嬖傳 殷紂妲己では、炮烙の法を見て妲己が笑ったとされている。
比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。
すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。

紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。
「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。

『漢書』外戚列伝の顔師古注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。
その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。


現代中国の妲己像
現代中国で妲己の名は悪女とともに、魅惑的な女性の代名詞でもある。
また彼女は紂の寵愛を得るために数種類の桃の花から花弁を取り、これを絞って汁を固めた燕脂と呼ばれる化粧を発明して頬へ塗っていたといわれている(紅粉)。
ここから妲己が単に男を狂わせた妖女と言うだけではなく、男の愛情に応える健気な女心を読み取る者も多い(燕脂というのは紅藍花・紅草の一種だともいわれている)。
また、
中国では妲己を題材にした時代物ドラマや劇場映画が現在も多数製作されている。


妲己に関する伝説
全相平話 編集 元代の歴史講談小説群である『全相平話』の一節「武王伐紂平話」の中で妲己が妖狐伝説と結び付けられ、妲己はキツネのなりかわりとされた。
「千字文」の「周が殷の湯を伐った」に対する注で、
殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑して国を傾けた妲己(だっき)は九尾狐であると指摘。
明代の「封神演義」が妲己を九尾狐の精としているのは、この説をもとにしている。


封神演義
明の時代の神怪小説『封神演義』では、千年狐狸精として登場し、殷周革命を実現させるために使わされたという。
そして、冀州侯蘇護の娘、蘇妲己の魂を奪って妲己になりすまし、紂王を堕落させて殷を滅ぼした。






関連項目 編集 温 - 父とされる忿生が封じられていた。
褒・
末喜
脚注 編集 ^ ・司馬遷. 史記/卷003. - ウィキソース.
^ ・劉向. 列女傳/卷7#.E6.AE.B7.E7.B4.82.E5.A6.B2.E5.B7.B1. - ウィキソース.
外部リンク 編集 中国通信社・商紂王の「酒池肉林」の存在確認、偃師で大型人工池発見。
ミラー・商紂王の「酒池肉林」の存在確認、偃師で大型人工池発見。

妲己伝説を最も誇張したのが「封神演義」・・史拐弯的地方
Web魚拓ミラー(妲己伝説を最も誇張したのが「封神演義」)