2024.07.16

 

 昨日の夕方散歩で歩きましたが、いつものコースに行ったら、いつもどおり森閑とした丘陵地帯の登り路、上部の平坦な路は、侘しい雰囲気でございましたさ。 歩き馴れてるとは言っても誰も居ない、茂みの中の路はなんとなく寂しい環境で、小雨に濡れながらの歩行は寂しさが漂います。 それでも登り切って尾根路になると反対側は、昔林と畑だけしかなく、遙か彼方に丹沢山塊とお姫様のみえる、地球が生まれたままの姿が望めました。 少し前のブログに書きましたが数年前は、見渡す限り草原と雑木林が延々と広がってましたさ。 所々に農家があってその回りに畑がありました。 田舎の雰囲気満杯でしたさ。 それがオラの歩く森林帯のすぐ下に道路が出来たかと思ったら、その両脇に延々と住宅が造られて、アッという間に集落が出来上がってしまいました。 それが又隣りと隙間がほとんど無いセセコマシイ集落と言って良いでしょう。 遙かに丹沢山塊やその上に富士山が頭を出している景色と、全くのアンバランス。 雑木林を買い上げてセセコマシイ住宅を造って、大自然の雰囲気を壊してしまったお方は何を考えてるんでしょうか? 又それを許したお役所もおかしいですね! 日本は柔らかな自然の美しい国でした。 今もそうですが、所々におらが見てきた自然をぶっ壊してお金儲けに走る人達がいるんですよね。

 

 

 そう言えば学校が見当たらない・・・通学はどうしてるんだべか・・・新婚さんなら子供がそろそろ小学校に通うんではないかい?  家の子らが通った小学校はおらが歩いてる尾根路を登って下らねばならないが・・・あの暗い急坂を上り下りするのは大変だべな。  同行者が何人か居れば良いんだろうが。 おらが小学生の時は小学校が電車一駅先で、降りた駅から直角に1~2kmほど、でも当然寄り道が、山の麓の暗い路を歩いたもんです。 それも、最初は歩くことが決められて無舗装の県道を小学生が列を作ってトコトコ歩いて行ったんです。 大雨の日なんかびしょ濡れで学校について、悪ガキのオラは走って行くんで、ハネが上がってお尻がびしょ濡れ、泥水で茶色に染まってしまう。 すると学校の担当の女の先生が、風邪を引くからって先生の真っ白な体操用のパンツを貸してくれて、オラのパンツを水洗いして干してくれてました。 当然帰るまでに乾くわけは無いんで、先生のパンツを穿いたまま、おらのパンツはランドセルの中に入れて、帰ってきたらお袋に怒られたのなんのって怒られた。 

 

 

 おらは帰りに走って帰ってきた。 ズック靴で後は泥水の”跳ね”がこれでもか!ッてくらいあがっていた。 先生の真っ白なパンツは泥だらけ・・・お袋が怒ったのなんのって怒ってた。 今になって思えば当然だなや😂。 一生懸命手洗いして洗ってくれたっけが落ちるもんじゃない。 そうかと言って愛知県のド田舎なんで、『体操用のパンツ』なんて売ってない。 翌日何やら手紙を持たされて学校に行った覚えがある。 何日かして、お袋は名古屋まで電車で行って、代わりのパンツを買ってきて学校まで持って行ったようだ。 あの当時終戦後間もない頃だっけ電話もなく不便な世の中だったっけ、問題があると顔を合わせてでないと話しが出来なかった。 とにかく悪ガキ(意識しての悪ガキではありません)には、回りに遊ぶところが一杯でした。

 

 

 おらの家には松の大木が何本もあって、その枝にド鳩が巣を作って雛を孵して育ててました。 当然餓鬼のオラはその松の木に登って、小鳩を捕ってきてお袋にどれだけドヤサレタか! 泣く泣く、小鳩を持って松の木に登り小鳩を返しに行ったもんです。(確か、前に書きましたね)  それでも懲りずに毎年同じ事をやってましたね。 小学校4年の時東京へ親父の転勤で家族全員東京に出てきました。 ド田舎(愛知県知多郡大字日長新舞子から東京都目黒区△町000番地に越してきて、田舎ッペって馬鹿にされました。 でも、家から50m位いのところに○○女学園があって、それがお袋の通った女学校という奇遇でした。 おらが入る訳には行きませんでしたが奇遇(大人になって知った言葉)でしたね。  お袋は果物問屋のお姫様でしたから良い学校に入れて貰ったらしい。

何が良いのか信じられませんが、一応お嬢様扱いだったらしい。 お嬢様でなくて、チャキチャキの江戸娘が当たってる。

 

 

 おらから見たら母方の爺さんは、華のお江戸のど真ん中、京橋で果物問屋をやっていたそうで、京橋に行くと 『 ここに爺様のお店があったんだよ 』 って聞かされました。 どんな店だったのかは想像も出来ませんが、名店だったらしい。 戦後たずねた時の、寝たきりの胃癌に冒された爺様しか記憶がありません。 それでも酒が手放されず『ういぃ~っ』て布団に横たわて飲む姿しか記憶にないですね。 お逢いして間もなくお亡くなりになっちまいましたが、印象深い爺様でした。 その当時おらは愛知県に住んでいましたね。 まだ園児でした。 そうだお参りに行こう、長い間小平霊園に行っていないな。 従兄弟もいるし久々に 😅  先は短いぞ、やることはやってしまえ。

ところでおらの墓参りに来るしといるか?  いやデェジョウブだぁ! あの子に、この子に、あああっ勘定仕切れねぇ!

      ♪馬鹿は死ななきゃぁ判らないぃ~♫

おらは中学も高校も大学も女人禁制を選らんでました。 会社に入って、女人禁制なんてアホのやることだって気が付いて解禁・・でも結果は変わらず・・なして???・・こんな良い男をほっとくなんて・・見る目が無いなぁ!って愚痴っても変わらずです。 いつも最後は残念な話しで終わりますねぇ😆

 

 

 今度生まれるときは何を願えば良いんでしょうか? なに?

多分、自分でいい男なんて言ってることが間違いなんだべな。

 誰もそんな風には見ていないのさ。 大体話し言葉が間違ってるのさ。 昔のシトが言っていた。 『ベェベェ言うのはよそうべぇと思うべぇが鍋と釣瓶はどうすベェ』 って。 どうする? そう言われるとハタと困っちまう。 とにかくおらは日本全国と言って良いほど生活で、仕事で、遊びで動き回った・・・は大袈裟だが本当に彼方此方移り住んだ。 前に何処かに書いたが住家は15カ所位に及んだ。 住家で仕事で遊びで訪れたのは全都道府県になります。 海外の国も前に書きましたが結構な数になります。 自分で調べて吃驚したばかりです。 もう年だから動きが取れなくなるでしょう。 そろそろ店じまいの時かな・・・遅すぎるってか! ハイ!