綺麗~!!
鹿児島キャンプ。。。
予算の関係でJALに乗れなくてANA。。^^;
けど 思わぬ機体に遭遇しました。
レトロな機体は モヒカンジェット^^
富士山が綺麗でしたよ~!!
このあとの日記は。。。ほんわかごはん に画像とともに載せてます~★
こちらにも できるだけ載せますが、鹿児島滞在中は写真だけになるかもです。^^
心のなかに。。忘れないために
8月と1月 私の心のなかの命の重さについて書いていました。
8月は この子たちの夏 1945 ヒロシマ ナガサキ
1月は 皐月パパの記事にもあった 阪神大震災のこと
旅先で 神戸新聞 テレビ番組みていました。
昨日、娘のいる愛知から帰宅後 書けなかったこと すべて残したくて書きます。
同じ文章ですみません。
ずっと湘南から 代表。
ドイツまで ヒデ のこと応援してきた仲間さん
すーちゃんの日記に
今年も 思い出すのも しんどいはずけど 毎年 書いてくれる
残す 責任が いまを生きるわたしたちにあると想う
以下は・・・コピペでごめんなさい。
少しでも 何かみなさんの心に残れば・・・と想います。
神戸新聞と震災
みなさま、ちょっとぶりです
今日は(って過ぎましたが・・)
1月17日。阪神淡路大震災が起きた日ですね。
当時はまだ遊び盛りな幼い学生。
もう15年もたつのかぁ~と、しみじみ。
毎年この日は・・意識しているのか、5時台に目が覚めてしまうのです。
やっぱりこの日も目覚め、震災の起きた時間にはTVを見ながら黙祷。
昨日、神戸新聞を題材にした桜井君主演のドラマをしてましたが。。
私のうちも昔から「神戸新聞」。
震災が起きた時も、毎日かかさず神戸新聞が届いてたな~と思いだしました。
ハハが何気にその当時の新聞を全部とってあったんですよねぇ。
地震の経験をこんな日にしか話されへんし、地震の体験話を書いてみたいと思います。
地震が起きる前日、近所のワンコたちが物凄い吠えていた。
夕方頃はいつも会話してるかのように吠えてたけど、
異様なけたたましい感じで吠えていて・・うるさいな~とゆーた記憶がある。
カラスもなぜかよく鳴いていたような。
夕飯の手伝いをしていたすーこ。
テーブルに物を置いた瞬間、
体を突き上げるような一瞬ぐらっとした感覚があった。
ほんの一瞬。
だけど、私は思わずテーブルに手をついた。
なんなんやろ??
今の??
とハハに地震きたでーと言った記憶がある。
後で色んな人に確認したら、一瞬の地震を感じた人が何人もいた。
今思うと、あれは大地震の前触れやったんやと思う。
その日も普通に寝て・・・そして5時46分。
実は私は地震が来る30秒程前に目が覚めている。
普段はそんな時間に目が覚めた事もない。
寝ぼけながら時計を見たのをはっきり覚えている。
もう一度寝ようと思ったその時、外で物凄い音がした。
パーンと言うような何かが弾ける音。
外で誰かなんかしてんのか??こんな時間やのに。
と思っていたら、今度は ずどーんと言うような、バリバリって言うような音がした。
なんせ街中に響くような。
そしてその音とともに、一瞬体が浮いた。
は??なんなん??
そして、次の瞬間物凄い揺れが襲ってきた。
何って表現したら伝わるかわからんけど・・・
箱の中で激しく上下にシェイクされてる感じ。
とにかく、何が起きてるのか寝起きもあってさっぱり理解出来ない。
あまりに激しい揺れで布団から出る事も出来ない。
大声を出しても、物凄い揺れと音にかき消される。
激しい揺れから、横に揺さぶられる揺れに変わった。
揺れはじめて2~3秒で電気が全て消えて、真っ暗闇の中の揺れは長く感じた。
自分の周囲では揺れとともに色んな音がした。
何かが倒れる音、耳の間横でガラスが割れる音。
早く終わって欲しい・・。
揺れがようやくおさまった時の静けさは異様やった。
数秒後、チチとハハが私の名前を呼ぶ声で我にかえる。
私は2階で、両親は1階で寝ていた。
呼びかけに応じたいのに、お腹から声が出ない。
まだ真っ暗な家の中、物をかき分けてどーにかこーにか私の部屋まで辿り着いた両親。
私を見るなり、叫びながら駆け寄ってきた。
・・・私はこの時あまりの衝撃に全く気付いてなかった事が一つ。
私が寝ていた部屋、
当時は日本間でハハが嫁入り道具で持ってきた和箪笥、洋服箪笥、
そして私の服が入った軽い箪笥が置いてあった。
和箪笥と洋服箪笥は上下に分かれていて、桐の箪笥なので物凄く重い。
私が寝ている右側に全て置いてある箪笥。
親が駆け寄ってきた理由は、
和箪笥以外の箪笥が私に倒れ、下敷きになっていたからである。
和箪笥だけは・・大量の着物が入っており、箪笥自体も重いためさすがに倒れなかった。
畳が揺れの衝撃を吸収してくれていたのかも。
数分後、近所の人が安否の確認をし始めたので、
家族で外に出ようと足元に気をつけながら玄関へ。
・・出られへん
家の前には立派な門構えがあったんですけどね。
その門が見事にドアに倒れてきてて出られへんかった
近所の人が懸命に除けてくれてなんとか外に出たのが30分後。
物凄い寒い日やったから、
毛布にくるまって外に出る。
外に出てびっくりした。
昨日までの穏やかな街とは全く違う。
周囲が騒然としている。
数件の家が倒壊している、
崩れかけてる家もある、
植木から門構えから何もかももうむちゃくちゃの状態やった。
外はガスの匂いが充満していた。
サイレンがけたたましく鳴りまくる。
電気もない、水も出ない、電話ももちろん通じない。
携帯もインターネットも全く普及していない時代。
何も情報が入らないし、どこで何がどう起こっているのかも分からない。
辺りが明るくなってきて・・被害がもっと酷い事に気づく。
家の中を見ると、何もかもぐっちゃぐちゃ。
台所にあるでっかい食器棚2つ、見事に倒れている。
家中の食器が全て割れた。
もしこの時間にハハが台所に立っていたら、と想像すると恐ろしい。
自分の部屋も、足の踏み場もないぐらい物が散乱していた。
物凄い重い学習机が10cm以上動いている。
そして・・自分が寝ていた部屋を改めて見てびっくり。
私が寝ていた右側に全ての箪笥があるはずやのに、
上下に分かれた洋服箪笥の上の部分が私の左側に落ちている。
つまり。寝ている私を飛び越えて左側に落ちてきた、と言う事になる。
その上の部分は他のものに比べて確かに軽い。
軽いとゆーても・・・男性2人でやっと持てる重さなんやけど。
暗闇の中で顔の左側でガラスが割れる音がしたのは、
これが落ちてきた音やったんやなぁ・・と。
頬を少し切ったけど、それだけで済んでよかった。
・・ちゅーか、よく私にあたらんかったなぁ
地震後も頻繁に余震が続き、
そのたびに揺れに怯え、家が軋む。初めて家の中が怖いと思った。
私の部屋の窓からは、裏側の家20軒程が倒壊してるのが見える。
うちは1度リフォームしてたおかげで助かったのかも知れない。
そんな家も地震後判定されたのは「半壊」。
見た目はそこまで痛んでいないけど、
家の中でビー玉が転がせます。
家が沈んで歪んでるのがわかるからやっぱり半壊かな。
長崎の伯父が、この頃車で神戸に出張で来ていた。
たまたま高速道路で仮眠をとっていた時に地震が起きた。
高速道路がバウンドしてゴムみたいやったと言っていた。
伯父のいた高速道路より少し後ろで倒壊したらしい。
消えていく車を何台も見たと、顔を真っ青にして語っていた。
近くのJRの駅は震度7を記録している。
ホームは崩れ、電車は脱線。
線路があんなにぐにゃぐにゃになっているのを初めて目にした。
新幹線の高架も見事にずれていて、
いつ崩れてもおかしくない感じ。
何より・・近くで火事がなかったのが幸いかも。
のちに患者さんから聞く事になるけど、
火事が起きた長田区と兵庫区は想像を絶する悲惨な現場だったはず。
命があっただけ数倍マシなんだと後で思い知る。
震災の事は細かい事を言い出したら、
全てを一度に語れないぐらい沢山ある。
今でも夜中に地震が起きると、震度が低くても怖い。
体が覚えているのか心臓がバクバクして手が震える。
最初の頃は、震災関連の映像を見るだけでも怖かった。
つい最近、ようやく震度2ぐらいまでは耐えられるようになりました。
それでもぐらっとくると構えてしまう。
もう二度と体験したくはありません。
・・と言いつつ、南海沖地震や東海地震が言われているので避けられそうにありませんが
毎日会う全ての患者さんも、みんな地震の被災者です。
関西では震災の日に色んな特番が流れていますが、
10年目の時に視聴者が撮影した震災直後の映像が沢山流れました。
その時に映っていた人の半分は・・患者さんで通ってきている人ばかりでした。
みんな被災して大変やったのに、いつも明るく前向きで偉いなぁ~
とこの日が来るたびに思います。
命ある事に感謝をしつつ。
めっさ長くなりました(汗)
ここまで読んでくださってありがとうございます
さ、明日からも頑張りませう
ってもうこんな時間やぁ・・
すーちゃん ありがとね。
すーちゃんの記事は
わたしのブログのお気に入り~
いちばん上のサカブログ~
そのブログのお気に入り読者から飛べます。
リンクして読めないかもなのでコピーさせていただきました。
皐月パパの記事は 前サカブログで書いてましたが
8月に自分も 大きな地震を体験して
まだまだ もっともっと・・・を実感。
阪神大震災の比で無い 東海大地震
何かを 残し続けたく 書きました。
昨日までの 紀伊半島縦断の旅は後ほど。。。
娘とひさしぶりのんびり楽しみました^^
画像は食べ物しかありませんが(汗





